雑節とは? ~主な雑節9つについて内容と意味を一挙解説~

雑節には、季節の節目という意味と役割があります。かつて消えかけたこともありましたが、日本人の暮らしに密着しているということで、今日まで続くことになりました。では、どういった点で重要だったのでしょうか。

雑節とは? ~雑節の成り立ちを確認しよう~

雑節とは日本の気候風土から生まれた節目のことで、季節の移り変わりを知るための補助的な役目の日取りともいえます。

同じようなものに二十四節気や七十二候もありますが、これらはもともと中国の黄河流域の気候に基づいて作られたものなので、日本の気候にそぐわないこともありました。そこで、日本独自の「雑節」が作られることになったのです。

雑節と称される日取りは、旧来の暦に付けられていた暦注に含まれるものでしたが、1873年の太陽暦の採用に伴って、原則として消えてしまいました。

しかし、その中でも生活に密着していて、とりわけ農作業の目安となる大切な日取りは残されることになり、それが現在まで続いているというわけです。

 

暦注とは、暦の日付のほかに記載されている注記事項のことです。吉凶や運勢など、さまざまなものがあります。

 

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雑節とは? ~それぞれの雑節についての内容と意味を解説~

雑節の定め方は地域や習慣により異なりますが、基本は、節分、彼岸、社日(しゃにち)、八十八夜、入梅(にゅうばい)、半夏生(はんげしょう)、土用、二百十日、二百二十日の9つとされています。

それではさっそく、それぞれの雑節についての内容と意味を解説していきましょう。

①節分

鬼の面と枡に入った節分用の豆

鬼のお面と節分豆

節分とは、本来は立春・立夏・立秋・立冬の前日のことで、季節の分かれ目を指していました。次第に春だけに用いるようになり、現在では立春の前日の名称となっています。

昔は「立春正月」の風習があり、一年の始まりである立春には神様が訪れ、人々に祝福をもたらすとされていました。また、季節の変わり目や年度の移り変わりなど、節目の時期には邪気が入りやすいとも考えられていました。そこで、一年最後の日とされる節分には豆をまいて鬼を追い払い、福を招き入れるための準備をしたのです。

なお、節分は新暦2月3日に固定されているわけではなく、暦により立春の日がずれると、節分も2月2日や4日になることがあります。

 

豆知識

鬼とは何か?

鬼といえば、牛の角と寅の牙があり、寅柄のパンツをはいて、手には金棒を持っている姿が想像されます。また、赤鬼や青鬼がいて、人間をだましたり、大切なものを盗んだりと、人々を怖がらせる存在というイメージが強くあります。

鬼については諸説ありますが、多くの場合、目には見えない恐ろしいこと、病気や飢饉、災害などといった、人間が恐怖を感じることすべての象徴とされているようです。それを可視化したものが、昔話などに登場する鬼の姿とも考えられます。

さらには、鬼とは人間の中にある邪悪な存在であるという説もあります。もしかしたら、一番怖いのは、人間の心なのかもしれませんね。

 

追儺

追儺(ついな)とは中国伝来の行事が由来とされ、疫病退散を目的とした儀式と考えられています。日本でも706年(慶雲3)の疫病流行の際、当時の文武天皇が行ったとされています。

方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役が、大声を上げて大内裏を回ります。方相氏は四つ目の面をつけ、矛と盾を持つことで鬼を威嚇したと思われますが、その異様な格好のためか、逆に鬼として追われる対象へと変化してしまいました。この方相氏の姿が鬼のイメージの原型なのかもしれません。

豆は「魔」を「滅する」ということで、「魔滅(まめ)」ともいわれています。

節分でまく豆は炒った大豆を使います。枡に入れた豆を前日に神棚に備えて霊力を宿らせます。まく順序は、神棚から始め、ついで各部屋や出入口でまき、まき終わると悪いものが入ってこないように急いで戸を閉めます。豆まきをするのは年男や戸主の役割で、豆は右手で下からまくようにするのが正しいとされています。

豆まきの唱え言は「鬼は外、福は内」が一般的ですが、鬼を祀っている神社や「鬼」の文字の入った地域や姓の家、先祖が鬼と関わったという伝承のある家などでは、「鬼も内」と唱えるところもあるようです。

豆まきが終わると、年の豆といって、自分の年齢の数もしくは年齢にひとつ加えた数だけ豆を食べます。芽が出る寸前の春の豆は生命力が強く、一年中病気にかからないなどといわれています。たくさん食べられないときは、福茶といって、豆を煮出したお茶を飲むこともあります。

ほかにも、節分は一年の始まりということで、その年の吉凶や天候、作柄を占う「豆占」をすることもあります。これは、節分の夜に行うもので、囲炉裏に大豆を12粒ならべ(閏年は13粒)、大豆の焦げ具合で判断するというものです。

鰯とヒイラギ

鰯の臭気とヒイラギの刺で鬼を追い払うというもので、「やいかがし」「いわしひいらぎ」などと呼ばれています。

マメガラで焼いた鰯の頭をヒイラギの枝に刺し、節分の夜に戸口に挿しておきます。

恵方巻き

台の上に置かれた恵方巻2本

恵方巻

恵方巻きの習慣は江戸時代末期ごろの関西で流行っていたとされるもので、節分の夜に、その年の恵方を向いて太巻きを食べるというものです。商売繁盛や無病息災で過ごせるなどのいわれがあります。

太巻きの具材は七福神にちなんで7種とされ、「縁を切らない」ために包丁を使わず「無言で」丸かじりします。

 

②彼岸

彼岸とは春分・秋分の日を含む前後7日間を称し、冬から春への節目(春分)、夏から秋への節目(秋分)にあたります。新暦では3月20日前後と9月20日前後にあたります。この期間は、いわゆる「お彼岸」と呼ばれ、先祖供養や法会(彼岸会)が行われます。仏教色の強い行事ですが、中国やインドでは見られない日本独自のものとされています。

さらに、彼岸には太陽信仰と稲作に関する民間の習俗が見られることから、さまざまな要素が含まれていると考えられています。

日迎え・日送り

日迎え・日送りとは、彼岸の中日(春分・秋分)に太陽を拝む習俗のことをいいます。

 

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③社日

社日(しゃにち)とは、土地の神や五穀の神を祀る日とされています。春と秋の年2回あり、春分や秋分に最も近い戊(つちのえ)の日にあたります。春は新暦3月21日ごろ、秋は新暦9月27日ごろになります。

中国で「社」は土地の守護神をあらわし、この時期に土地の守護神の祭りや豊穣を祈る祭りが行われていました。そうした観念が日本に伝わり、重要な農耕の節目と合致し、地神の信仰と結合したものと考えられています。

社日は稲作の始まりと終わりの節目の時期でもあるので、春の社日(春社)は豊作を祈り、秋の社日(秋社)は収穫を感謝する日でもあります。また、田の神は春の社日に来て、秋の社日に山へ帰るという田の神去来伝承も各地に認められています。このことから、社日は土地の神様が移動中であるため、田畑に出てはいけない、土をいじってはいけないという禁忌も広く知られています。

 

④八十八夜

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茶摘み

八十八夜は立春から数えて88日目にあたります。新暦では5月2日ごろになります。この時期は晩春と初夏の境目であり、大陸からの移動性高気圧が通過するため、昼間は暖かくても、夜間になると急に冷え込んで霜が降りることもあります。霜は農作物に影響を及ぼすものなので、遅霜の時期であるという注意を促すために、江戸時代から暦に記されるようになったといわれています。

八十八夜を過ぎると霜の被害も少なくなり、農作業もいよいよ忙しくなってきます。稲作では種もみをまく目安とされていました。また、茶摘みの開始の目安にもされていました。

八十八夜は末広がりの「八」がふたつ並び、また、「米」という字にもなることから、この日は農作業のスタートに縁起の良い日とされています。豊作祈願の行事を行う地域もあるようです。

茶摘み

八十八夜に摘まれた新茶は、昔から栄養価が高いとされ、不老長寿の縁起物として仙薬(せんやく)といわれています。新芽のやわらかい部分だけを摘み取った新茶には、うま味成分のテアニンが豊富に含まれ、カフェインやタンニンなどの苦みや渋みが少ないのが特徴です。

うま味成分であるテアニンには、脳のアルファ波に作用して脳をリラックスさせたり、集中力を高めたりする効果があります。テアニンは一定のあいだ太陽に当たるとカテキンに変質してしまうため、日光のあたる期間が短い新茶のほうが含有量は多くなります。新茶は、風味はもちろん、その成分も上質なものなのです。

 

 

豆知識

茶摘みの歌

一度は耳にしたことのある茶摘みの歌の歌詞をご紹介します。

♪ 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る

あれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきに菅(すげ)の笠

日和つづきの今日このごろを 心のどかに摘みつつ歌う

摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ 摘まにゃ日本の茶にならぬ ♪

「あかねだすき」とは「赤い色のたすき」という意味のほか、「茜の成分を含ませたたすき」という意味もあります。

茜とはアカネ科のつる性多年生植物のことです。根を乾燥させると赤くなり、その成分は止血剤としても使われていたようです。茶摘みは素手で行う作業のため指先に怪我をしやすく、たすきに含ませた茜の成分を指先に擦り込みながら作業を継続していた様子がうかがえます。

 

 

⑤入梅

入梅(にゅうばい)とは梅雨の期間に入る最初の日のことをいい、立春から数えて135日目にあたります。新暦では6月11日ごろになります。農家にとっては、田植えをはじめとする農作業の段取りを組む目安となる大切な日とされています。丸々とした梅が実る時期ということで、「梅」の字が使われているようです。

てるてる坊主

てるてる坊主とは、中国から日本に伝わった晴れ乞い人形のことです。手に持ったほうきで雨雲を払い、晴れの気を呼ぶといわれる「掃晴娘(そうせいじょう)」が原型とされています。日本では僧侶などが晴れ乞いの儀式を行っていたので、娘から坊主へと姿が変化したと考えられています。

本来は目鼻口を描かずにのっぺらぼうのまま吊るし、願いが届いて見事に晴れると、目鼻口を描いたようです。

 

 

豆知識

梅とシソ

梅は強い抗菌力を持ち、疲労回復効果のあるクエン酸をたっぷり含んでいます。昔から梅酒や梅干しなどの保存食として活用されています。

シソは、ビタミン、カロチン、鉄分が豊富で、昔から日本の民間薬として使われてきました。下剤や貧血、疲労回復に効果があるとされています。

シソは「紫蘇」と書くとおり、本来の種は赤ジソで、青ジソはその変種と考えられます。赤ジソは6~7月の梅雨どきだけのものです。

 

 

⑥半夏生

半夏生(はんげしょう)とは、夏至から数えて11日目のころをいい、一般的には「梅雨明け」の時期といわれています。新暦では7月2日ごろになります。

半夏生の語源は、半夏と呼ばれる薬草(烏柄杓:からすびしゃく)が生えだす時期だから、あるいは、半夏生と呼ばれる片白草(かたしろぐさ)の葉の下半分が徐々に白く変化し、白い穂状の花をつける時期だからともいわれています。

農家では「半夏半作」、「半夏過ぎての田植えは実らぬ」などといわれ、このころまでに田植えを終えていないと、秋の収穫が半分になるとされています。無事に田植えを終えていれば、まんじゅうや団子を作って祝ったといいます。また関西ではタコの足のように稲の根がしっかり張るようにと、豊作を祈ってタコを食べることもあるようです。

そのほか、一年で最も湿気の多い不快なこの時期は、「天から毒が降り、地から毒草が生える」という言い伝えもあります。毒が入らないように井戸に蓋をしたり、山菜や野草の収穫を控えたりする地域もあるようです。

 

⑦土用

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土いじりは禁忌

土用とは、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間のことをいいます。本来は年に4回ありますが、現在は立秋前の土用(夏の土用)のことを指すことがほとんどです。

夏の土用は、立秋前の18日間(または19日間)の間にめぐってくる丑の日のことをいいます。夏の土用の丑の日は、梅雨明けと重なることが多く、また、体調を崩しやすい時期でもあります。暑い夏に向けてうなぎを食べたり、梅雨で湿った衣類を乾かす「土用干し(大切な衣類が夏を越せるようにとの願いも込められている。昔は、書物や掛け軸も陰干しされていた。)」をしたりして過ごします。

立春
春の土用:4月17日ごろ~5月立夏の前日まで。

立夏
夏の土用:7月20日ごろ~8月立秋の前日まで。

立秋
秋の土用:10月20日ごろ~11月立冬の前日まで。

立冬
冬の土用:1月17日ごろ~2月立春の前日まで。

 

土用の由来は中国にあります。中国の五行説「木火土金水(もっかどごんすい)」を木=春、火=夏、金=秋、水=冬に当てはめると「土」が余ります。その余りの季節を立春、立夏、立秋、立冬前の約18日間に当てはめたものが「土用」です。

本来は季節ごとに「土用」があり、昔は季節の変わり目にさまざまな禁忌がありました。土を動かすような作業(土いじりや種まき)はもちろんのこと、「土用波」という大波が打ち寄せるため、海にも注意が必要とされます。

また、土用は「土旺」とも書かれ、その季節の最も勢いが強い時期でもあるとされます。「旺(おう)」は勢いが強いこと、さかんな様子を表す言葉です。

うなぎ

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うなぎの蒲焼き

土用の日には、「う」のつく食材を食べ、養生をして体調を整え、来る季節に備える準備をします。特に夏の土用の日には、うなぎ、梅干し、うどん、うり(きゅうり、すいか)などを食べることで、夏バテを防止します。

日本中にうなぎを広めたのは、エレキテル(静電気発生装置)で有名な蘭学者(江戸時代にオランダ経由で伝来した学問を研究・活用した者の総称)・平賀源内といわれています。「丑の日に“う”のつく食べ物を食べると元気に過ごせる」という言い伝えから、知人のうなぎ屋さんの店先に「本日土用の丑の日」と書いた紙を貼ったところ、店はお客でいっぱいとなり、以来、「土用の丑の日=うなぎ」ということが定着したということです。

うなぎには、疲労回復に効果絶大のビタミンA、Bが豊富に含まれているため、夏バテ防止にはうってつけの食材でした。(本来のうなぎの旬は冬)

うなぎの蒲焼きと相性が良いといわれるのが、シジミのみそ汁です。「土用のシジミは腹の薬」ともいわれています。また、うなぎと梅干しの食べ合わせを気にする方も多いようですが、現在では特に根拠がないといわれています。

 

 

豆知識

うなぎのさばき方

関東と関西では、うなぎのさばき方に違いがあります。

関東では背開きが一般的です。白焼きしてから蒸し器で蒸し、その後たれをつけるので、身のやわらかさが特徴です。武士文化の残る関東では、「腹を開く」ことは切腹を意味するため縁起でもないこととされていました。

一方、関西では腹開きが一般的です。背の皮のパリッとした食感と香ばしさが特徴です。商人文化の関西では、「腹を割って話せる」ことは良いこととされていました。

 

 

丑湯

土用の丑の日には、無病息災のおまじないとして丑湯(うしゆ)に入る風習がありました。毎日入浴できなかった時代では、入浴にも邪気を払う意味があったと考えられます。江戸時代ごろには、桃の葉を入れる桃湯を丑湯としていました。

 

 

豆知識

丑湯いろいろ

ドクダミ

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ドクダミの葉

日本三大薬草のひとつといわれています。日本全土に自生する多年草で、陰地や湿地を好みます。ドクダミの生の葉には特有の臭気があるため、なにかの毒が入っているのではということから「ドクダメ(毒溜め)」と呼ばれるようになり、そこから「ドクダミ」になったといわれています。

夏のあせもや湿疹に効果があります。入浴時に匂いが気になる場合には、乾燥させたものを使います。

桃の葉

桃の葉には消炎、解熱に有効なタンニンという成分が多く含まれていることから、日焼けやあせも、湿疹、虫刺されなどの肌の炎症を抑える効果があります。

緑茶

緑茶に含まれるサポニンとカテキンが、夏の暑さで広がった毛穴をすっきりと引き締めてくれます。

丑湯の入り方はとても簡単です。
①生の茎や葉を水洗いして、適当に刻むか、そのまま布袋に詰める。
②布袋をよくもんで、薬草の成分を出しながら入浴する。
*布袋のかわりに網目の細かい選択ネットやお茶用パックでも可能です。

 

 

⑧二百十日

⑨二百二十日

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台風襲来

二百十日・二百二十日は立春から数えて210日目、220日目にあたり、それぞれ新暦9月1日ごろと9月11日ごろのことをいいます。

稲はこのころ開花時期を迎えますが、古来より台風襲来の季節にあたっているので、特に農家では警戒されてきました。この項目が国暦に登場するようになったのは、天文暦学者で国暦の創始者である渋川春海が貞享暦(じょうきょうれき)に掲げて以来となります。釣り好きの彼が漁師からの情報をきっかけに暦に記すようになったといわれています。

風祭り

風祭りとは、農作物を風の被害から守るために行われる儀礼のことをいいます。風祭りのほか、風日待ち、風祈祷、風防ぎ、荒日の神事などいろいろな名称があり、二百十日前後以外にも行われています。

風祭りでは村人が鎮守などに集まって飲食をしたり、念仏を行ったり、あるいは、獅子舞やお神楽を奉納したり、村の境にしめ縄を張って風の悪霊の進入を防いだりということがされました。ほかにも、祭りの最後に風の悪神を背負わせたわら人形を松明で焼く神事がある地域もあります。

いずれにしても、風祭りは村の共同祈願として行われることが多いようです。

風除けのまじない

風除けのまじないとして、風切り鎌という呪いがあります。これは、鎌の刃で風神を切って風被害を除けようとするものです。各家で竹竿などの先に鎌を結び付け、風の方向に刃先を向けて屋根や庭先に立てます。この鎌が錆で赤くなると、風の神が付いたなどといったようです。

 

風にはいろいろな名前が付いていますが、多くは漁師や農家の人々が付けたとされ、その数は2000以上ともいわれています。

 

三大厄日

三大厄日とは、二百十日・二百二十日に八朔を加えた3つをいいます。

八朔とは旧暦8月1日のことで、新暦では8月下旬から9月下旬までの間で移動し、毎年日付が異なります。二百十日・二百二十日と同じく、稲の収穫を妨げる台風被害が心配な時期です。地域により違いはありますが、五穀豊穣などを願う「八朔祭」が行われます。

八朔祭は台風の被害がないことを祈るほか、豊作祈願の祭りでもあります。八朔の日は田に酒をまいたり、米団子を作って供えたりと、自分の田を「ほめる」風習があります。

また、「田の実」と「頼み」をつなげて、その年に取り入れた新しい稲などを近所に贈り、豊穣祈願や前祝いの行事も行われていました。こうした贈り物の交換は、親睦を深めることで地域の結束を高めようとする目的もあったようです。この贈り物の風習は、鎌倉時代から武家社会でも取り入れられ「頼みの節句」として広がっていきました。

 

 

豆知識

八朔という果物

八朔は口がすぼまるほどすっぱい果物ですが、一説には、江戸の終わりに広島で発見され、それを見つけた住職が「八朔(8月1日)には食べられる」とつぶやいたことから付いた名だといわれています。実際の八朔の旬は真冬。住職の予想ははずれたが、「八朔」という名だけは残されたそうです。

 

 

まとめ

雑節には、季節の節目という意味と役割がある。

かつて消えかけたこともあったが、生活に密着していて、とりわけ農作業の目安となる大切な日取りは残されることになり、それが現在まで続いている。

雑節の定め方は地域や習慣により異なるが、基本は、節分、彼岸、社日(しゃにち)、八十八夜、入梅(にゅうばい)、半夏生(はんげしょう)、土用、二百十日、二百二十日の9つとされている。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。