七夕とはどんな日? ~七夕の由来をわかりやすく説明~

七夕といえば、織姫と彦星の物語が有名ですが、七夕の由来は主に3つあるといいます。どんなことが由来となっているのでしょうか。

【目次】

七夕の由来

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牽牛と織女

七夕の由来は主に3つ、日本古来の行事「棚機(たなばた)」と、中国から伝わった「牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の物語」、「乞巧奠(きっこうでん)」にあるといいます。

 

棚機
七夕の風習が中国から伝えられるより早く、日本には祭祀に関わる布を織る「棚機」と呼ばれるものがありました。これは、水辺に建てた機小屋に女性がこもり、棚に機で織った神の衣を供え、神を迎えて祀り、神を送る日には、神に託して人々のけがれをはらうというものです。この神の衣を織る女性は「棚機津女(たなばたつめ)」と呼ばれ、日本古来の巫女ともいわれています。

 

牽牛と織女の物語
牽牛と織女の物語は、陰暦7月7日の夜、天の川の両岸にいる牽牛星と織女星とが、白鳥座の近くにいる鵲(かささぎ)の媒介で1年に1度会うという伝説から生まれました。織女星は琴座のヴェガで糸や針の仕事を、牽牛星は鷲座のアルタイルで農事をつかさどる星と考えられていました。2つの星は、旧暦7月7日に天の川をはさんで最も接近し光輝くので、中国では昔から人格化され、この日を1年に1度のめぐり逢いのときと考えたようです。

一般的に知られているストーリーは主に2つあるようです。それぞれのあらすじを簡単にみていきます。

 

七夕物語①
昔、天の川の西に織姫という布を織るのが上手な姫君が、対岸には彦星という牛飼いの青年が住んでいました。ふたりは天帝の引き合わせにより出会い結婚しました。ところが、ふたりの暮らしぶりは仕事もせず遊んでばかりだったため、天帝は年に1度、7月7日の夜以外は会ってはならないと命じたのです。

 

七夕物語②
泉で水浴びをしている天女を見つけた若者は、羽衣を隠してしまいます。羽衣のない天女は若者の妻になり、やがて子どもが2人生まれました。あるとき天女は、夫が隠していた羽衣を見つけ天に帰ってしまいます。夫と子どもたちは天女に会いたくて、天女が天から下ろした縄を伝って上っていきます。天女の父親は天帝で権力者。人間の夫や子どもたちをよく思わない天帝は、無理難題を言いつけます。しかし、天女の助けで夫はうまくこなしていくのです。ところが、天帝が「瓜を切れ」と命令したとき、天女はうっかり切り方を教えるのを忘れてしまいます。夫が瓜を横にして真ん中から切ると、瓜から水があふれ出て天の川となり、天女と夫、子どもたちは離れ離れになってしまいました。

 

織姫/天女
織女星。琴座のヴェガ。糸や針仕事を司る星と考えられていた。

彦星/若者
牽牛星。鷲座のアルタイル。農事を司る星と考えられていた。

天帝
天にいて、すべてのものを支配し、宇宙を司る神。

 

これら2つの物語が主流のようですが、天帝の代わりに西王母(せいおうぼ:天で最も力のある女神。天女たちの母親。)が登場したり、天の川の成り立ちも、瓜ではなく西王母が銀のかんざしで空を切ったことにより出現したりと、細かい部分での違いがあるようです。

また、本来は年に1度ではなく、年に数回会うことができるはずだったという裏話もあります。鵲という、日本では九州でしか見られないめずらしい鳥が登場するのですが、この鳥が西王母の命令「7のつく日に会える(つまり、1か月の間に数回会うことができる)」を「7月7日に会える」と織姫と彦星に伝え間違えてしまったのです。鵲は罰として、7月7日に一羽ずつつながって天の川に橋をかけることになったといいます。

 

豆知識
天の川

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天の川

天の川は、英語では The Milky Way といいます。

天の川は約2000億個もの星が集まる銀河系の一部です。夏の夜空に、雲の帯のように見えます。冬の空でも見ることができますが、夏のほうがより明るく見えます。

また、新暦7月7日は梅雨の真っ最中のためほとんど見られませんが、旧暦の七夕は新暦の8月上旬にあたります。旧暦の七夕なら、晴天の確立がグンと高くなります。

 

乞巧奠
乞巧奠(きっこうでん)とは、「巧みになることを願う祭り」という意味で、主に女性が裁縫や音曲の技の上達を祈願する古代中国の宮廷行事でした。「乞(きつ)」は願い頼むこと、「巧(こう)」は上手であること、「奠(てん)」は供え物をして祭ることを意味します。

七夕の夜、女性たちは庭に台を置き、酒や干肉、瓜などを供え、針には5色の糸を通して、裁縫の上達を祈ります。このとき、瓜に蜘蛛が網を張るようなことがあれば願いが叶うとされました。

 

 

「牽牛と織女の物語」や「乞巧奠」が日本に伝わったのは奈良時代といわれています。貴族と中国文化を伝えた渡来人のものだった七夕は、中国の宮廷行事をまねたもので、朝廷の中だけで行われていました。平安時代には、次のように過ごしていたようです。

「清涼殿の庭に筵(むしろ)を敷き、高机を四脚ならべた周囲に9本の燭台を配置し、蓮華・五色糸・鏡・針・干鯛・薄鰒・枝豆・酒盃・茄子・梨・瓜・桃・琴・ひさぎの葉・香炉などを供える。そして天皇は椅子に座って星空をご覧になり、管弦・詩歌の遊びが行われることになっている。」

鎌倉・室町時代になると、七夕は一般の人たちにも広まっていきます。その際、日本に古くからあったさまざまな行事や儀式、信仰とも混ざり合い、本来の雅な宮廷行事とは別のものになっていったようです。例えば、機織りが盛んな地域の七夕は、機織りの女神としての織女だけが重視され、牽牛は出てこないこともあります。

ほかにも、里芋の葉の露で墨をすり、その墨で梶の葉に歌を書く風習や、七夕の夜、たらいに水を張って牽牛星と織女星の星影を水面に映して見る風習もあったようです。

 

豆知識
七夕は7月7日じゃない!?

日本では、1872年の旧暦12月3日を新暦1873年の1月1日として暦が変わりました。そのため、新暦と旧暦には、およそ1か月から1か月半のずれがあります。旧暦7月7日は、今の暦では8月上旬にあたります。今では1か月早い7月7日に七夕の行事を行う地域がほとんどですが、ひと月遅れの8月7日に行う地域(宮城県仙台市の七夕祭りなど)もあるようです。

 

なぜ七夕にそうめんを食べるのか?

七夕の行事食といえばそうめん(素麺)ですが、なぜ七夕にそうめんを食べるのでしょうか。
中国にはこんな言い伝えがあります。

伝説上の五帝の子どもが7月7日に水死し、霊鬼となって現れ、人々に病害を流行させた。そこで、子どもの好物であった索餅(さくべい)を作って供えたところ、病害がおさまった。

索餅とは唐菓子のひとつです。小麦粉と米粉を練って縄上に細長くねじったもので、そうめんの祖といわれています。

この伝説が日本に伝わり、そうめんと関連付けられたとされています。そうめんを食べることで、無病を願ったのですね。

また、七夕の時期は小麦の収穫期(旧暦8月は秋の始まり)でもあることから、収穫に感謝して小麦を原料にした食べ物(そうめんやひやむぎなど)を供えるようになったとも考えられています。七夕に供えられるようになったのは、室町時代からといわれています。

ほかにも、白いそうめんは天の川を連想させる、そうめんの1本1本は織姫の紡ぐ織糸を表している(特に色付きのそうめん)ともいわれています。

そうめんを食べるときには、しいたけ、青じそ、錦糸卵、かに、ねぎなど5色の糸に見立てた5色の具を添えます。

七夕飾り

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七夕飾り

七夕飾りが宮中や将軍家ではなく庶民の間に広まったのは、江戸時代からといわれています。書や手芸など、習いごとをする人々が増え、誰もが上達を願うようになりました。七夕飾りには、短冊をはじめ、いろいろな飾りがあり、それぞれ意味を持っています。

 

短冊
短冊には、願い事や「天の川」といった、七夕にちなむ言葉や絵を書きます。短冊に願い事を書いて笹竹に吊り下げるようになったのは、江戸時代の寺子屋に通う子どもたちからといわれています。子どもたちは主に書道の上達をお願いしていたようです。また、里芋の葉にたまった夜露で墨をすり、その墨で願い事を書くと字が上達するともいわれていました。

 

梶の葉
梶の葉は、短冊の代わりをつとめる葉です。梶の木は、昔から神様に捧げる神木とされてきました。葉は和紙の原料になるほか、神様への供物をのせるお皿としても使われていました。平安時代の貴族は、乞巧奠でこの葉に和歌などを書き、上達を願ったといいます。

 

吹き流し
吹き流しは、織姫の織り色を表現しているといいます。織り糸に見立てて5色を使う場合もあります。裁縫や技芸の上達を願います。

 

巾着(財布)
巾着は金運アップ、商売繁盛などを願う飾りです。ほかにも、節約や貯蓄の心が養われることを願う意味も込められています。本物の財布を下げてもよいとされています。

 

網飾り
魚介の豊漁を願うなど、食べ物に困らないようにと願う飾りです。幸運を網で集めるという意味もあります。一方で、七夕の祭には豊漁祈願の要素は微塵もないため、本来は七夕のニ星に供えた「願の糸(長い糸を束にしたもの」が変化したものともいわれています。

 

千羽鶴
千羽鶴は長寿のシンボルとされています。現在では、たくさん作って捧げることが多いですが、昔は一家の最年長者の歳の数だけ折ったといわれています。

 

くずかご
くずかごには、物を粗末にしないようにとの意味が込められています。七夕飾りを作って出た紙くずを中に入れて吊り下げます。

 

紙子(人形)
紙子(かみこ)とは棚機津女が織った衣を意味するともいわれる紙の着物のことをいいます。裁縫の上達を願うほか、着るものに困らないようにとの意味も込められています。紙子は神に捧げる衣なので、上のほうに飾ります。人形は、災いを人形に移すことで、子どもの無病息災を願います。

 

 

七夕飾りは6日の夕方に軒下などに飾り、7日の夕方には外すというのが一般的ですが、七夕飾りの後片付けは、6日後の7月13日の午前中に清流に流すと決まっているところもあるようです。

昔はこの笹竹や短冊を川に流し、厄払いとしていました。現在でもその風習が残っている地域もありますが、多くはそのまま処分します。あるいは、近所の社寺でお焚き上げしてもらえる場合もあるようです。

さて、これらの七夕飾りですが、なぜ笹竹に飾るのでしょうか。

竹は、そのすがすがしい香りと、食べ物を包むと腐りにくくなるほどの殺菌力があることから、魔除けの儀式やお清めに使うなど、神に所属する植物として崇められてきました。また、1日に1.2メートルも伸びる筍の生長に神がかりをも感じたのでしょう。ゆえに、神社などのご神体にしたり、門松や床の間の生き花として立てたりと、私たちの身近に常に存在させるようになったのです。特に、食器類に竹や笹の清しい絵が描かれることは、東アジア独特の現象とされています。竹や笹の絵の皿は、なによりも安心して食物が食べられると信じられていました。このような習慣は日本だけでなく、インドや中国など、アジア民族に広く普及しているといいます。こうした背景を考えれば、七夕飾りを笹竹に飾るということは、自然な流れと考えられますね。

 

豆知識
竹は木、それとも草?

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竹は、木でも草でもない「タケ」という独自の「有節植物」として区別されています。生育範囲は、熱帯から暖温帯にいたる赤道を中心とした南北両地域。低地からヒマラヤの5000メートル近くまで生育が確認され、世界中には、少なくとも93属1200~1400種はあると考えられています。なお、竹と笹の違いは、稈鞘(かんしょう:竹の皮のこと)の状態によります。竹の皮が早く落ちるものを竹、付いたままのものを笹と区別しています。

 

日本でみられる主な竹
笹竹(ささだけ)
笹竹は、植物の分類では、竹ではなく笹の仲間になります。七夕の笹といえばこちら。清々しい香りと、食べ物を包めば腐りにくくなるほどの殺菌力があり、神社での魔除けの儀式や土地のお清めにも使われます。

 

孟宗竹(もうそうちく)
孟宗竹は国内最大で、食用の竹として知られています。東北地方南部より南(沖縄県を除く)に生育しています。1日に1メートル以上も生育する、高く太い竹で、炭、紙、床板などの素材として使われています。鎌倉時代に道元というお坊さんが中国から持ち帰ったともいわれています。

 

真竹(まだけ)
真竹は孟宗竹に次ぐ大きさで、青森県の中部より南に生育しています。曲げなどの力に強いので加工するのに向いており、工芸や日用雑貨品などの材料として使われています。1879年にエジソンが電球を発明したとき、フィラメント(電球の中の細い線)に使ったのは京都の真竹でした。

 

金明竹(きんめいちく)
金明竹は関東地方より西に生育しています。緑と金色が縦じまになった竹で、その稈の美しさを生かして造園材料に使われます。『竹取物語』のかぐや姫が生まれたのは、金明竹という説があります。

 

淡竹(はちく)
淡竹は1500年ほど前に中国から渡来したとされ、北海道南部から山陰地方の日本海側に生育しています。ほかの竹より縦に割りやすいので、茶筅(ちゃせん)やほうき、提灯(ちょうちん)のひごなどの材料にもなります。稈の表面全体にロウ質が付いていて、淡緑色に見えるのが特徴です。

 

七夕を英語で説明してみよう

七夕は英語で The Star Festival と表します。日本の文化に興味のある外国人に七夕とは何かを英語で説明してみましょう。

 

Tanabata is a Star Festival.

Orihime meets Hikoboshi on this night.

We decorate bamboo to ward off evil.

七夕は星祭りです。この夜、織姫と彦星が再会します。笹に飾り付けをして厄除けをします。

 

Originally from China and modified into its Japanese form.

The event spread from the imperial palace to ordinary people.

中国から伝わり、日本の宮中に入りました。次第に民間へと広がりました。

 

Why do you decorate bamboo?

We believe bamboo keeps bad things away.

なぜ笹に飾り付けをするのですか? 笹は悪いものを追い払うと信じられています。

 

七夕のうたを歌ってみよう

七夕のうたは、誰もが一度は口ずさんだことがあるでしょう。ここでは、七夕のうたの歌詞を改めて読み解いてみます。

 

七夕の歌
ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎんすなご
ごしきのたんざく わたしがかいた お星さまきらきら 空からみてる

 

ささの葉さらさら
ささの葉の音をじっくりと聴いたことがありますか。この「さらさら」という音は、神聖な生葉のもつ響きとされています。近年、七夕に飾られる笹の葉は、当日ではなく2~3日も前に切り出されているためか、葉は枯れて巻いており、風を受けると「ガサガサ」と音を立てます。まるで生命を失った葉の悲しみの音のようです。昔は、七夕当日に切り出しをしてくるため、この歌詞のように「さらさら」という音がしていたのでしょう。

 

のきば
のきば(軒端)は、屋根の端、庇(ひさし)のことをいいます。現在の青竹は、歌詞にあるように屋根ほどの高さに掲げられますが、江戸時代の青竹は、星に届けとばかりに屋根よりもはるかに高く掲げられていたようです。

 

きんぎんすなご
きんぎんすなごは、金や銀の粉のことで、巻き絵や色紙などの美術品に吹きつけるものです。その美しさから、星の光輝くようすを表しているといいます。

 

ごしきのたんざく
ごしきのたんざく(五色の短冊)は、中国の「五行説」にちなんだ5色の短冊のことです。この世のすべては、木、火、土、金、水の5つの要素を根源とする説で、青(木)、赤(火)、黄(土)、白(金)、黒(水)の5色を使い、邪気を払って霊力を宿らせるというものです。

 

ささの葉の「さらさら」という音や、五色の短冊が風に揺られているようすを想像しながら歌ってみると、歌詞への理解がより深まりますね。

まとめ

七夕の行事は、日本古来の行事「棚機(たなばた)」と、中国から伝わった「牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の物語」、「乞巧奠(きっこうでん)」にあることがわかりました。

近年では、夜でも街が明るいため星も見えにくいですが、七夕は年1回の星祭り。ゆっくり空を眺めてみてはいかがでしょうか。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。