占い・まじない ~時代とともに変化、発展していく占いやまじないの役割とは~

占いやまじないに興味のある方も多いと思います。占いやまじないは文字のない時代から行われていたといい、日々の悩みや不安のほか、政治の方針などを決める際にも用いられていたようです。人々が頼りにする占いやまじないとはどんな存在なのでしょうか。

【目次】

日本の占い・まじない ~始まりの時期と両者の違いについて知ろう~

森林,滝,川

神との交信

まず始めに、日本における占いやまじないの始まりの時期、両者の違いについて見ていきましょう。

日本の占い・まじないは、かなり古い時代から行われていたと考えられています。
縄文・弥生時代の人々の暮らしはといえば、山では狩りや木の実を集め、海では漁をして、さらには農耕までも行っていました。

しかし、天候に左右されることも多く、人々は山や海、木や大地など、自然のあらゆるところに神が宿ると信じ、災害が起きれば神の怒りととらえ、豊かな実りは神の恵みだと感謝するのでした。

また、人口の増加にともなって集落(ムラ)から小国(クニ)へと変化する中で、人々を統制する人物も現れるようになります。

日本の占い

「占い」とは、ある決まった一定の方式を読み取り、物事の真実や神の意思、未知の事柄を知ろうとすることです。

日本では「太占(ふとまに)」という占いが、古墳時代ごろまで行われていました。鹿や猪の肩甲骨を火箸状のもので焼き、骨に入ったひびの長さや穴の形状などを見て占います。作物の実りのほか、村の運勢を占うことにも使われたため、やがて政治にも利用されるようになりました。

また、太占などの占いを行う人物は、のちに国を治めるほどの権力も手にする存在となっていきました。

日本のまじない

「まじない」とは、神や精霊などの人智を超えた力を借りて望みを叶えようとすることで、「呪術(じゅじゅつ)」ともいいます。言葉やしぐさ、舞のほか、呪具(じゅぐ:まじないの道具)を使って超自然的な力に働きかけます。まじないを行う人は「呪術者」「シャーマン」などと呼ばれます。

日本では、縄文時代以前からまじないが行われていたと考えられています。日本各地にある遺跡からは、まじないに使われたと思われる土偶(どぐう)が発掘されています。土偶は呪具として使われたもののひとつで、女性の形をしたものが多く、壊された状態で出土することがほとんどです。

土偶の役割については諸説ありますが、土偶を壊し、捨て去ることで災いの身代わりや安産祈願をしたと考えられています。また、オオゲツヒメの神話(殺されたのちに体から穀物などを生み出した)に基づいて、豊作を願ったものともいわれています。

 

ポイント
狩猟採集を中心に暮らしていた人々にとっての占いやまじないは、自然環境に左右される生活に欠かせないものであり、自然に宿るとされる神と交信する手立てでした。

 

豆知識
卑弥呼
卑弥呼(?~248年前後)は、弥生時代後期に邪馬台国(やまたいこく:約30か国からなる連合国家)という国を治めていた女王とされる人物です。中国の歴史書『三国志』には、「鬼道(きどう:占いやまじないのこと)の名人」と記されていますが、その生涯には謎が多く残ったままです。

卑弥呼は太占など、さまざまな占いの方法を身に付け、災害や争いごとなど、あらゆる場面で神をまつり、祈り、神の声を聞くことで、強い力を持つ巫女としての地位を保っていたようです。

 

古代の占い・まじない ~大和から飛鳥、奈良時代の人々にとっての役割とは~

仏教,仏,祈り

仏教

太占などの占いを行い、村や国の未来を予想し支配していた権力者たちも、その人数や規模が大きくなるにつれ、それだけでは治めることが難しくなっていきました。やがて、中国から伝わった文化や知識により国を治める仕組みが整ってくると、占いやまじないは、国によって管理されるようになります。こうして、呪術者が国を治める時代が終わり、より組織的な体制により国が治められていくようになったのです。

それでは、大和から飛鳥、奈良時代のころの様子を見ていきましょう。

亀卜

亀卜(きぼく)は亀の甲羅(亀甲:きっこう)を焼いてできたひびの形で物事を占うもので、中国では最も神聖な占いとされ、殷王朝(いんおうちょう:紀元前16~前1世紀ごろ)では、国の重要なことは亀卜で決められるほどでした。

飛鳥時代に入り、日本が律令制度(法律に基づいて運営される、中央集権的な国家の統治体制)を取り入れると、亀卜は太占の代わりに用いられるようになります。

奈良時代には、宮中で祭祀を行う「神祇官(しんぎかん)」の中に、亀卜を行う専門の役職「卜部(うらべ)」が登場するなど、中国同様に国を動かすためのよりどころとされました。

仏教

仏教は、日本に最も大きな影響を与えたとされています。

『仁王般若経(にんのうはんにゃきょう)』や『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』、『法華経(ほけきょう)』という仏教の経典では、国王や人々が仏教を信仰してこれらの経典を唱えると、国家の平和が守られるとされています。

特に、奈良時代に飢饉や疫病の流行に悩まされた聖武天皇は、国ごとに国分寺を建てさせたり、大仏を本尊とする東大寺を建立したりと、仏教の力で国を守ろうとしました。

陰陽五行思想

陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)は仏教とともに伝来したもので、さまざまな占いに応用されていきました。

陰陽五行思想とは、この世のあらゆるものを「陰」と「陽」の性質を持つものと、木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)の5つの要素とに分け、その組み合わせから物事が起こると考える思想です。古代中国では、天文学や医学、暦、風水や方位といった地理学など、さまざまな科学分野の基本思想となっていました。

飛鳥時代になると、天武天皇は、国の重要な政治を行う中務省(なかつかさしょう)の中に「陰陽寮(おんようりょう)」を新設し、それぞれの技術を国家運営のためのものとして管理するようになりました。

 

陰陽寮
行政部門
陰陽頭(おんようのかみ):1人。天文や暦、気象などに異常があれば天皇に伝え、判断をあおぐ。
陰陽助(おんのうのすけ):1人。
陰陽允(おんようのじょう):1人。
陰陽大属(おんようのたいぞく):1人。
陰陽少属(おんようのしょうぞく):1人。
使部(しぶ):20人。下級役人。
直丁(じきちょう):3人。下級役人。

陰陽部門(おんようぶもん):占いをつかさどる)
陰陽博士(おんようのはかせ):1人。陰陽生(おんようのしょう)などを教える。
陰陽師(おんみょうじ):6人。吉凶を占い、方位をみる。
陰陽生(おんようのしょう):陰陽を学習する。

暦部門(こよみぶもん:毎年の暦をつくる)
暦博士(れきはかせ):1人。暦をつくり、暦生(れきのしょう)などを教える。
暦生(れきのしょう):10人。暦法を学習する。

天文部門(てんもんぶもん:天文や気象を観測する)
天文博士(てんもんはかせ):1人。天文を観測し、天文生(てんもんのしょう)を教える。
天文生(てんもんのしょう):10人。天文を観測し、学習する。

漏刻部門(ろうこくぶもん:水時計を管理し時刻を知らせる)
漏刻博士(ろうこくはかせ):2人。守辰丁(しゅしんちょう)を率い、水時計をみる。
守辰丁(しゅしんちょう):20人。水時計をみて、時刻ごとに鐘・太鼓をたたく。

 

ポイント
古代の人々にとっての占いやまじないは、国を動かし守るための大切な知恵であり、国家運営のための技術として管理されるものでした。

 

平安時代の占い・まじない ~平安時代の人々にとっての役割とは~

青龍,白虎,朱雀,玄武

青龍、白虎、朱雀、玄武

平安時代に入ると、貴族中心の政治が始まります。比較的平穏な時代とされていますが、自然災害や疫病、事件なども多く、怨霊や悪霊が引き起こすものだという考えが強く信じられるようになりました。

四神相応

四神相応(しじんそうおう)とは、中国の風水の考え方で、東を守る青龍(せいりゅう)は川を、西を守る白虎(びゃっこ)は大きな道を、南を守る朱雀(すざく)は湖を、北を守る霊獣・玄武(げんぶ)は山を好むというものです。

桓武天皇は、784年に長岡京を、794年に平安京を作りましたが、わずか10年で都を移しています。その理由は、国に災いをもたらす怨霊から逃れるためといわれています。

平安京のある京都は、東に鴨川、西に山陽道・山陰道、南に巨椋池(おぐらいけ)、北に船岡山・鞍馬山を構える土地であり、四神がその内側を守ってくれると考えたのです。

密教

怨霊や悪霊を非常に恐れた平安時代の人々は、それらを打ち破ってくれる力を求めます。そのひとつが密教に基づくまじないです。

密教とは、人々に広く教えを説く仏教とは異なり、師匠から弟子へと教えを受け継いでいく門外不出の仏教です。

密教はもともと国を守るために取り入れられましたが、次第に個人的な目的にも利用されるようになりました。例えば、貴族が病気になると僧侶に加持祈祷を行わせ、もののけが現れたときには悪霊を打ち倒す「調伏(ちょうぶく)」を行わせました。

 

豆知識
空海
空海(弘法大師:こうぼうだいし)は、真言宗の開祖として知られていますが、唐で本格的に学んだ深い知識と優れた呪術力を持っていたため、雨ごいや国家を沈め守るための儀式や祈りなどを行い、華々しい業績を残しました。現在でも、全国各地に空海が起こしたとされる奇跡の伝説が数多く残っています。

 

陰陽道

陰陽道(おんみょうどう)とは、陰陽寮という役所を基盤に平安時代に日本で成立したものだと考えられています。怨霊や悪霊を恐れる朝廷や貴族たちの生活に欠かせない力のひとつでした。

陰陽道は、陰陽五行思想をもとに、密教、地形や方位などの吉凶を判断する風水思想、中国の民間信仰である道教(どうきょう)などのさまざまな要素が取り入れられ、日本独自の陰陽道へと進化を遂げました。

 

豆知識
安倍晴明
安倍晴明(あべのせいめい)は、最強の陰陽師として知られています。

陰陽師とは、もともとは陰陽寮に所属し、国のために働く役人を指す官職名でしたが、陰陽道が定着していくにつれ、占いやまじないを行う宗教者の一般的な職業名として用いられるようになりました。

清明は、天文博士として天文現象や気象現象を観測し、異変があったときは文書にして密かに天皇に知らせる役割を担っていましたが、清明の占いや予知能力は極めて高く、さまざまな伝説が残るほどの活躍ぶりだったようです。

 

ポイント
平安時代の人々にとっての占いやまじないは、怨霊や悪霊などの退散を目的とする手段として用いられるものでした。

 

戦国時代の占い・まじない ~戦国時代の人々にとっての役割とは~

武将,鎧,戦国時代

戦国時代

鎌倉時代から安土桃山時代になると政治が乱れ、日本各地で戦が起こるようになります。戦で最も重視されるのは、戦力や戦術などの武力でしたが、勝利を招くために占いやまじないも用いられていたといいます。

軍配者と軍配うちわ

軍配者とは、武将たちのもとで、軍の配置や立ち回りを指揮する人のことで、戦を始める日、攻める方角、兵の配置などを決めるために吉凶を占います。また、天気は勝敗を左右する重要な要素でもあったため、天文を観察して、雲や風の動きも占いました。

軍配うちわとは、軍配者が戦場で軍を指揮するときに用いたものです。魔除けの道具、招福の象徴としての側面もあり、十二支や二十八宿、方位・方角、太陽・月・星といった天文など、占いに関係の深い言葉や絵、梵字(ぼんじ:古代インドでサンスクリット語を書くのに用いたブラーフミー文字とその系統の文字)が書かれたものも多く残っています。

修験道

修験道(しゅげんどう)とは、日本古来の山岳信仰と、神道や仏教、道教が結びついた民間宗教をいい、鎌倉時代に大きく発展しました。

修験道の修行を行う人々は、修験者または山伏(やまぶし)と呼ばれ、神聖とされる山に入って、厳しい修行をすることで呪術力を得て、さまざまなまじないを行うことができるとされています。

悪霊退散や病気の回復、豊作祈願や雨ごいなどを実現してくれる山伏は、庶民の間でもてはやされました。

 

ポイント
戦国時代の人々にとっての占いやまじないは、戦で勝つための手段のひとつとして用いられていました。

 

江戸時代の占い・まじない ~江戸時代の人々にとっての役割とは~

辻占菓子,フォーチュンクッキー

フォーチュンクッキー

江戸時代になると、「将軍のおひざもと」と呼ばれる江戸の町には、地方から多くの人が集まりました。戦のない平和な社会が続きますが、一方で、自然災害や病気、お金のやりくり、人間関係、自分の将来など、さまざまな問題が人々を悩ませます。

しかし、科学や医療技術はまだ発達していなかったため、人々は神や仏、占いやまじないに頼ることが多くありました。その結果、さまざまな占いやまじないが流行し、生活になくてはならないものとなっていきました。

有卦と無卦

有卦(うけ)・無卦(むけ)とは、陰陽道のひとつで、12年を1周期とする年ごとの運勢を表したものです。

1年ごとに胎(たい)・養(よう)・長(ちょう)・沐(もく)・官(かん)・臨(りん)・帝(てい)・衰(すい)・病(びょう)・死(し)・墓(ぼ)・絶(ぜつ)の12運が移り変わり、胎から帝までの7年が吉の「有卦」、衰から絶までの5年が凶の「無卦」とされています。いつから有卦に入るかは、生まれ年によって異なります。

無卦の時期を乗り越えて有卦に入ることは大変めでたいこととされ、福を呼び込むように、頭に「ふ」のつくものを7つそろえ、お祝いをする風習もありました。

江戸時代末期から明治時代初期にかけては、頭に「ふ」のつくもの(福助、富士山、福寿草、文、筆、船、袋、ふぐなど)をたくさん描いた「有卦絵(うけえ)」と呼ばれる浮世絵が、数多く作られました。

易占

易占(えきせん)は古代中国で生まれ、8世紀ごろに日本に伝わったとされる占いです。

筮竹(ぜいちく:細い竹の棒)と算木(さんぎ:ひとつの面の中央に溝をつけた木の角柱)を使って出た「卦(け)」を、本に記してある解釈と照らし合わせて物事を占います。

易占を行う人を易者(「八卦見:はっけみ」ともいう)といいますが、占いが流行した江戸の町には、大勢の易者がいました。家を構えて占いを行うものもいれば、道端に店を出して占いを行う大道易者もいました。

辻占

辻占(つじうら)は、娯楽としての占いの代表をされるものです。

もともとは、夕方に辻(つじ:道が交差するところ)に立って、はじめに通りかかった人が話していた言葉を聞き、その内容によって吉凶などを判断する占いでした。夕方に行うので「夕占(ゆうけ)」ともいい、『万葉集』にも登場するほどの古い占いです。

江戸時代には、時刻や場所にこだわらなくなったため、庶民の間で気軽に行われるようになりました。

 

豆知識
辻占菓子
辻占菓子は、占い付きの菓子としてよく知られています。煎餅や豆菓子、あめなどの中に占いの言葉を書いた紙が入っていて、ひとつずつ食べながら占いを楽しみます。

アメリカの中華料理店で、食後のサービスとして出されるフォーチュンクッキーは、日本の辻占煎餅がもとになって生まれたものだといわれています。

 

宿世結び

宿世結び(すくせむすび)とは、江戸時代の女性たちの間で流行した占いのひとつで、1枚の紙にひとりずつ名前を書いて見えないようにこよりを作り、男女に分けたこよりを1本ずつ結び合わせて、誰と誰の縁が結ばれるかを楽しむ遊びです。

神無月(かんなづき:旧暦10月の月名)に出雲大社へ集まる神様たちが行う「縁結び」をまねたものとされています。男女の縁は、農作物のできなどに次いで重要なものとされ、古代から大きな関心を集めていました。

 

豆知識
大雑書
『大雑書(おおざっしょ)』は、江戸時代の占い・まじないの本として、広く普及していたものです。江戸時代の初めごろから作られるようになり、かつては陰陽師などの専門家だけが扱うことのできた暦や占いの知識が載せられていました。

大雑書には、豊富な種類の占いが載っており、専門の占い師でなくても気軽にできる占いが、分かりやすく書かれていました。また、自然現象の解説や生活の知恵、言い伝えなども書かれていたため、江戸時代の終わりには、生活百科事典として大いに活用されていたようです。

 

ポイント
江戸時代の人々にとっての占いやまじないは、人生の大事な決断を助けてくれるものであると同時に、子どもも大人も楽しめる娯楽のひとつでした。

 

現代の占い・まじない ~現代の人々にとっての役割とは~

タロット占い,カード

タロットカード

現代の日本には、古くから東洋で行われてきた占い、西洋から伝わった占いのほか、新しく生まれた占い、数種類を組み合わせた占いなど、実にさまざまな占いが行われています。

占い・まじないの分類

古くから東洋で行われてきた占いは、中国生まれのものがほとんどです。中国では、運命を見る方法を「命(めい)・卜(ぼく)・相(そう)・医(い)・山(さん)」という5種類に分類し、「五術」と呼んでいます。

 

五術
命(めい)
陰陽五行思想が土台となっている。生まれた年・月・日・時間をもとに、個人の性格や運命などを占う方法。生まれ持った運命を知る手段。
四柱推命(しちゅうすいめい)、九星気学(きゅうせいきがく)、紫微斗数(しびとすう)などがある。

卜(ぼく)
偶然にあらわれた形や数字から、吉凶や物事の未来を占う方法。具体的な問題や悩みについて念じながら行う。
太占、亀卜、粥占(かゆうら)、易占、辻占、くじなどがある。

相(そう)
顔の形や手のしわ、名前の文字、家のつくりなどの見た目から、その人の状態や運勢を占う方法。過去から現在、未来へと次々に変化していく運気を知る手段。
人相占い、手相占い、姓名判断、家相、風水、夢占などがある。

医(い)
脈や顔色などから、体の状態を見て、病気の原因を探って治療を施すこと。
鍼灸(しんきゅう)、漢方、整体術などがある。

山(さん)
心身を鍛えることで、健康や長寿を実現すること。
気功、呼吸法、武道などがある。

*医や山は現在の運命を良くしていくための術とされています。現在では、命・卜・相のいずれかの占いが多く行われています。

 

西洋から伝わった占いでよく知られているのは、西洋占星術や数秘術、タロット占いや水晶占いなどです。

西洋占星術(メソポタミア文明発祥)や数秘術(古代ギリシャの数学者・ピタゴラス発祥)は命の占い、タロット占いや水晶占いは卜の占いに分類されます。

また、相の占いとして、東洋の占いと同じく人相占い(古代ギリシャ発祥)・手相占い(古代インド発祥)や夢占(メソポタミア文明発祥)などがありますが、それぞれ独自の発展をとげ、新しい学問分野として扱われたり、より科学的な研究対象となったりしていきました。

ちなみに、現在日本で行われている手相占いは、西洋手相術をもとにして発展したものとされています。

 

占い・まじないの発展

占いやまじないは絶えず発展し続け、中には日本独自のものもあり、今では数え切れないほどに種類が多くなりました。よく知られている占いには次のようなものがあります。

12星座占い・・・生年月日を12星座に区分し、運勢や相性を占うもの。西洋占星術を簡単にしたものともいえる。

血液型占い・・・血液型をもとに、その人の基本的な性格や人との相性を占うもの。血液型と人間の性格を結びつける考え方は、日本で始まったもの。

動物占い・・・生年月日から自分の「動物」を割り出し、基本的な性格や人との相性などを占うもの。四柱推命を現代風にアレンジし、12の動物のキャラクターを使って分かりやすくしたものといえる。

 

ポイント
現代の人々にとっての占いやまじないは、娯楽としての要素がさらに増し、いつでも気軽に試すことのできるものとなりました。

 

まとめ

占いやまじないについてみてきました。現在ではエンターテインメントのひとつとして誰でも気軽に楽しめるものとなりましたが、かつては国を動かすほどの力を持つものとされていたのですね。
占いやまじないが現代にまで続いているということは、私たち人間の悩み事や心配事というものが、基本的には変わらないからなのかもしれません。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。