花火 ~花火の魅力とは? 花火をもっと楽しむための基礎知識~

皆さんは、花火の魅力はどんなところにあると思いますか? 夏の風物詩のひとつでもある花火は、光と音の芸術ともいわれ、私たちの心をとらえて離しません。一瞬で消えてしまう花火に込められた思いとは。花火の本当の美しさとは。花火の種類や花火作りの技、花火の歴史などについて詳しく紹介しています。

目次

花火の歴史

花火,夜空

夜空に輝く花火

まずは、花火の歴史についてです。
花火の主な材料となる黒色火薬が発明されたのは、7世紀ごろの中国でした。はじめは武器として使われていましたが、500年ほど経つと花火が誕生します。その後、ヨーロッパで打ち上げ花火として発展し、日本へ伝わりました。それでは、詳しく見ていきましょう。

花火の起源

花火の原形といわれているのが「烽火(のろし)」です。秦の始皇帝(在位・紀元前247年~210年)は、北方の遊牧民族の侵入を防ぐため、およそ6千キロメートルにおよぶ万里の長城を構築し、その城壁に一定の間隔で「烽火台」を設けました。敵の侵入を味方に知らせるため信号として使ったもので、昼は煙の烽火を上げ、夜は薪を燃やしました。

日本では7世紀ごろ、壱岐(いき)・対馬(つしま)などの辺境の地に派遣された防人(さきもり)が、唐の制度をまねて烽火を使ったことが、『日本書記』に記されています。そのころの烽火は「烽燧(ほうすい)」と呼ばれ、1カ所に4台の烽燧を設け、煙を出したり火を燃やしたりして合図を伝達したとされます。

なお、最初の花火は、14世紀後半にイタリアのフィレンツェで生まれ、ヨーロッパ全体に広がったとされていますが、確実な文献が残されているわけではなく、花火の起源については、さまざまな説があります。

火薬の発明

火薬は、羅針盤、印刷術などとともに中国の発明とされています。秦の始皇帝を筆頭とする権力者や貴族たちは、不老不死の薬を求めていたため、その薬を作る「煉丹術(れんたんじゅつ)」の研究を盛んに行っていました。黒色火薬は、薬学者がさまざまな調合をしたときに、硝石(しょうせき)と硫黄(いおう)と木炭粉を混ぜ合わせると独特な性質の物質となることから発見されたものです。

この黒色火薬の発見は、その後いろいろな火器を生み出しました。火薬をくくりつけた槍、火薬をかたまりにして投げて爆発を起こす火球や火砲が作り出され、宋軍の戦いにも使われたことが記録として残されています。

中国で生まれた火薬は、13世紀にイスラム諸国に、さらには、ヨーロッパへと伝わりました。人種や宗教の違いから争いごとの絶えないヨーロッパでも、次々に武器として使われるようになりました。

その後、火薬は大砲と鉄砲の発明により、ますますその威力を発揮していきます。14世紀には、英国やドイツに火薬工場が作られるようになりました。

日本伝来

日本に火薬がもたらされたのは、種子島(たねがしま)に鉄砲が伝来した天文12年(1543)8月のことです。このころは、戦いの合図の烽火に使われていたようです。戦国時代になると、鉄砲の需要が高まり、火薬の製法や鉄砲の研究がさらに進められました。

日本の花火の始まりは、種子島への鉄砲伝来から17年後の永禄3年(1560)、愛知県の三河地方で、神社の祭礼に使われた手筒花火とされています。

 

豆知識

打ち上げ花火を見た日本人

伊達政宗(だてまさむね)
天正17年(1589)7月7日、山形県の米沢城で、唐人(外国人)の献じた花火を4回にわたって楽しんだということが『伊達治家記録』に残されています。このときの花火がどのようなものだったかは分かっていません。

徳川家康(とくがわいえやす)
慶長18年(1613)8月3日、イギリス国王ジェームス1世の使者ジョン・セリスが、駿府城(すんぷじょう)の徳川家康を訪ね花火を献上したということが、『駿府政事録』に残されています。このときの花火は、竹の節を抜いた筒に黒色火薬を詰め、火の粉を噴き出させる「立火(たちび)」と呼ばれるものでした。

 

江戸期の花火

江戸時代のはじめごろ、江戸(東京)の花火は大川(現在の隅田川)を中心に上げられていました。徳川家康の花火見物以降、花火はまず諸大名の間で流行し、その後、花火好きで知られる三代将軍家光の奨励もあり、庶民の間にも広がっていきました。

しかし、花火が原因の火事が多くなったため、「花火禁止令」が4回も繰り返し出されました。何度もおふれが出されるほど庶民も夢中になってしまったことの表れといえます。

明治時代以降の発展

明治時代に入ると、マッチの原料である塩素酸カリウムやストロンチウムなどの新しい薬剤が輸入されるようになりました。それまで、炭の炎の強弱でしか表現できなかった花火に、色とりどりの光が取り入れられるようになりました。

大正時代になると、さらに新しい薬剤が導入され、花火技術は飛躍的に進歩します。第二次世界大戦中は花火の製造も中止され、戦後は、ポツダム政令によって一切の火薬製造が禁止されましたが、昭和21年(1946)の米国独立記念日に、全国各地の進駐軍のキャンプで花火が打ち上げられたのをきっかけに、次第に復活していきました。

今では、日本の花火は世界でも最も精巧で華麗な花火といわれ、夏の夜空を彩るだけではなく、年中、季節を問わず打ち上げられています。

花火の種類

花火,夜空,大きな輪

まん丸の花火

次に、花火の種類について見ていきましょう。
花火は、その構造から「割物(わりもの)」、「ポカ物」、「半割物(はんわりもの)」、「型物(かたもの)」の大きく4つに分けられます。そして、この4種類それぞれから、さらにさまざまな種類に分けられていきます。

割物

割物は日本独自に発達した形で、伝統的な丸い形が美しい花火です。どこから見ても同じ形に見えるように作られ、大きな音とともに開くのが特徴です。代表的なものに「菊」や「牡丹(ぼたん)」、「椰子(やし)」があります。


細長い菊の花びらのように、「引(ひき)」と呼ばれる光の尾を残しながら、中心から外側に開きます。まん丸に近いほどいいとされています。

 

牡丹
菊と同じように見えますが、光の尾を残さず、光の点の移動で丸く開きます。

 

椰子
太い打ち星を八方に飛ばし、ヤシの葉のように開かせます。チタンに他の金属を組み合わせた合金を利用した花火で、昭和46年(1971)に開発されました。キラキラ残る炎が美しい「金椰子」や「銀椰子」、バリバリッと大きな音を立てて開く「バリ椰子」などがあります。

 

ポカ物

ポカ物は、花火玉の中にある部品を上空で放出するだけの花火です。上空で花火玉がポカッと二つに割れることからこの名が付きました。中には、音や色の煙が出る仕掛けや、パラシュートや旗が落ちてくる仕掛けなどもあります。代表的なものに「蜂」や「柳」があります。


「ピュー」「シュルシュルッ」と、蜂のように音を立てながら不規則に飛び回るのが特徴です。火薬が回転しながら飛ぶことで音が出ます。

 


星が柳のようにだらりと垂れて、しだれ柳の枝のように見えるものです。上空で玉を軽く破裂させることで、このような表現が可能になります。

 

半割物

半割物は「小割物(こわりもの)」ともいいます。割物とポカ物の中間的な要素を持った花火です。花火玉の中にさらに小さな花火玉が詰められているもので、いくつも開く花が特徴です。代表的なものに「千輪菊(せんりんぎく)」があります。

千輪菊
花火玉が割れて少し時間差があってから、いっせいに多数の小さな花火が開きます。

 

型物

型物は「花火は丸い」という常識を崩したユニークな形の花火で、光の点や線で絵や文字を描きます。ハートやニコニコマーク、キャラクターなど数多くの作品が発表されています。

この「型物」と呼ばれる花火の技法は、明治末期から大正初期にかけて流行しました。近年では、平面的な型物から、サイコロなど三次元を表現する「立体型物」も作られています。円にこだわらないテーマ性を持った花火は「創造花火」とも呼ばれ、新しい技術が生まれています。

その他の花火

花火の種類は、「割物」「ポカ物」「半割物」「型物」以外にもあります。

曲導付(きょくどうつき)・昇り曲(のぼりきょく)

曲導とは、花火本体とは別に、花火玉が開く前に小花を開かせたり、音を出させたりするために本体に付いている小さい花火のことをいいます。「昇り分花」「昇り小花」「昇り竜」などがあります。

昇り分花
左右に複数の星を飛ばしながら上昇します。

昇り小花
小さな小花が次々に開きながら上昇します。

昇り竜
太い尾を引きながら上昇する一般的な曲導です。

 

仕掛け花火

仕掛け花火とは、ある場所に仕掛けて破裂させる花火のことで、「枠仕掛け」「滝仕掛け」「水上仕掛け」などがあります。

枠仕掛け
文字や絵を花火で描くもので、ランスワークとも呼ばれています。社名やロゴを仕立て、スポンサーの宣伝効果をねらったものがほとんどです。

滝仕掛け
さらさらと流れ落ちる火の粉を水しぶきのように見せ、会場全体を明るく照らし、盛り上げます。「ナイアガラ」などが有名です。

水上仕掛け
海や湖、川の水面で花火を燃焼させるもので、水上の花火と水面に映る花火の美しいコントラストは、見応えがあります。

 

豆知識

スターマイン

今や、花火大会の主役は「スターマイン」と言ってもいいほど、この呼び名が知れわたっていますが、これは花火の名前ではありません。

スターマインとは、何発もの花火を続けて発射させたり、複数の花火を組み合わせて発射させたりする打ち上げ方法のことです。数分間に数十~百発を連続的に打ち上げるスターマインは、年々華やかさを増しています。

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スターマイン

 

昼花火
昼花火は、運動会やお祭りなどの開催連絡用として昼に上げられます。煙と光を中心に見せる花火で、夜の花火とは違ったおもしろみがあります。色とりどりの煙が青空に映えるのも、昼花火ならではです。

 

おもちゃ花火
おもちゃ花火とは、自分たちで遊べる花火などのことです。代表的なものに「線香花火」があります。

線香花火
おもちゃ花火の中でも火薬の量が少なく、火花も小さいですが、はっきりとした4つの変化を楽しむことのできる花火です。人生にも例えられる線香花火の一生を見てみましょう。

①牡丹
火薬が燃えながら火球ができます。それは、丸くふくらんで咲いていく牡丹の花のようです。火球が重みで落ちないように気を付けます。

②松葉
「ババッ、バババッ」と音を出しながら、松葉のような光の線のかたまりが、火球からあちこちへ飛び出します。線香花火で最も激しい火花です。

③柳
火花の勢いがおさまり、音もシュワシュワと静かになります。柳の枝が風にそよぐように、火花は下へ流れ落ちます。

④散り菊
さらに静かになり、1本1本の光の筋が、まるで菊の細い花びらのように散ります。いよいよ線香花火も終わりです。

 

線香花火の変化する火花の呼び方は、これ以外にもいろいろあります。

 

豆知識

線香花火の歴史

線香花火の歴史は江戸時代に始まり、最初は、わらの先に火薬を付けた「スボ手」といわれるものでした。香炉に立て、上から点火して楽しむ様子が、仏壇に供える線香に似ているところから「線香花火」と呼ばれるようになりました。

江戸時代に作られた線香花火ですが、昭和中ごろから平成にかけて、値段の安い外国産の線香花火が輸入されると、作る人も少なくなり、ついには一度途絶えてしまいます。しかし、外国産の線香花火は、国産の線香花火の美しさには程遠く、国産の線香花火の復活を望む声が増えました。そこで、いくつかの花火製造会社が研究をして、国産の線香花火は復活したのです。

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線香花火

 

花火作りの技

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華麗な打ち上げ花火

次に、花火作りの技を見ていきましょう。
花火の製造は火薬を扱う作業で危険を伴うため、作る工程はほとんど手作業で進められます。夜空を華麗に彩る花火からは想像もつかない地道な作業が続きます。

薬剤の配合

花火の色を決める炎色剤、燃やすための酸化剤、燃やすのを助ける可燃剤の配合を考え、異物を取り除いたうえでよく混ぜ合わせます。配合する薬品、金属粉の種類と割合によって、光や色、音などが違ってきます。配合の済んだ薬品は「和剤(わざい)」と呼ばれています。

割薬作り

割薬とは、花火玉を空中で割り、星を遠くへ飛ばすための火薬です。割薬の芯(割芯)には、米や麦のもみ殻、綿の実、杉や檜の実などを使いますが、大きな花火玉の場合は、松ぼっくりやコルク片を使うこともあります。

過塩素酸カリウムを主剤とした配合薬に、みじん粉(もち米から作る水溶性でんぷん)などの糊を入れ、水で泥状にしたものを割芯に塗って乾燥させます。

星作り

星作りは「造粒(ぞうりゅう)」ともいいます。星は、破裂したときの花火の形や光、色を決める火薬のかたまりです。

「星掛け」という方法が一般的で、星掛け機と呼ばれる回転釜に直径2~3ミリの星の芯を入れ、和剤を加えながら次第に大きな球形にしていきます。芯(2回目からは星)に掛けては乾燥させるという作業をくり返し行います。直径10ミリまで大きくするのには、約2週間かかります。花火の出来を大きく左右する星作りには、熟練のスゴ技が必要とされます。

玉ごめ

玉ごめは、ボール紙でできた半球の入れ物(玉皮)に、星と割薬を詰めていく作業のことです。

まず、玉皮の内側に沿って星をきれいに並べます。いちばん外側になるこの星を「親星」といいます。さらにその内側に薄い和紙を敷き、中に割薬を詰めていきます。単芯花火の場合、ここで割薬をいっぱいにしますが、花火玉の種類により、星と割薬を二重、三重などと層にするものもあります。

必要なものを詰めたら、板で軽く押して平らにならしていきます。これをもう一つ作り、最後に両方を合わせます。ぴったりと合わせた花火玉は、親導(おやみち:導火線のこと)を上にして、完全な球形となるよう、たたき棒などで細かく調整していきます。形が整ったら、玉の合わせ目を紙テープで止めていきます。

玉貼り

仕上げの作業である玉貼りは、玉の表面に細長く切ったクラフト紙を貼っていきます。全体に均一に貼らないと、玉の割れるバランスが崩れ、打ち上げたときにきれいに丸く開きません。玉の大きさによって貼る枚数も違い、糊で貼っては乾かすという作業を繰り返します。玉貼りは、花火玉の強度を決め、花火を大きく開かせるための大切な作業です。

玉貼りに使う糊も、花火玉を作る上で大切なもののひとつです。糊の材料は、でんぷん系の原料を何種類か混ぜ合わせ、火にかけて作ります。また、クラフト紙につける糊の量も、気温や湿度によって調整しなければならないので、長年の経験が必要とされます。

乾燥と保管

花火玉は、天日干しや乾燥室で十分に乾燥させて保管します。完成した花火玉には竜頭(りゅうず:取っ手のこと)を付け、一つひとつに玉名(ぎょくめい:名前のこと)や製造年月日などを墨で書き込みます。色や大きさなど種類別に分けられ、箱に詰めて火薬庫で厳重に保管されます。

 

豆知識

花火師

一人前の花火師(花火職人)になるには、「玉貼り3年、星掛け5年」などといわれ、少なくとも10年はかかります。

また、花火師の仕事には、花火を作る以外にもあります。「花火を作る」「花火を打ち上げる」「花火大会の準備作業」「花火大会後の片付け作業」。これらの仕事は、たくさんの火薬を取り扱うので、危険が伴いますし、準備や後片付けにも多くの日数が費やされます。

ほかにも、花火大会の企画や演出なども大切な仕事です。すべての作業において、集中力や忍耐力の求められる職業といえます。

 

花火の仕組み

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美しい青色の花火

次に、花火の仕組みについて見ていきましょう。
打ち上げ花火の玉は、「玉皮」という厚紙でできた球の中に、光を放つ「星」と呼ばれる火薬の粒と、玉を破裂させるための「割薬」と呼ばれる火薬を詰めたものです。

玉には導火線が付いていて、玉の中央部分の火薬(割薬)を引火させ爆発を起こします。すると、さらにその周りにある星が引火しながら吹き飛ばされます。玉の中心から外側に向かって引火の連鎖が起こるため、花が咲いたように見えるというわけです。

花火の打ち上げ方

まず、花火玉の大きさに合った「打ち上げ筒」を地面に固定し、筒底には「打ち上げ火薬」を入れておきます。次に、導火線を下にして花火玉を入れ、上から火種を投下します。打ち上げ火薬に点火すると勢いよく花火玉が打ち上げられ、同時に導火線に火がつき、中の割薬に点火すると破裂します。この導火線の長さも、花火玉が最も高い位置で破裂するように、花火玉の大きさによって変えています。

打ち上げ方法には、「単発・連続・連発」の3種類があります。

単発打ち上げ
ひとつの筒に打ち上げ火薬と花火玉を入れ、電気や火種を落とし、1発ずつ打ち上げます。

 

連続打ち上げ
いくつかの筒に打ち上げ火薬と花火玉を入れておき、導火線や電気により、筒の上部から火種を落とし、連続して打ち上げます。

 

連発打ち上げ
打ち上げ筒に火種を入れておき、あらかじめ打ち上げ火薬を取り付けた花火玉を手で落とし、連続で打ち上げます。

 

最近では、コンピューターによる遠隔点火の方法も使われています。

 

花火の色

花火の色は、基本的には元素の炎色反応を利用しています。

ヨーロッパでは、黒色火薬のほかに鉄を加えることによって、早くから花火の色を変化させていました。1786年に強い酸化剤の塩素酸カリウムが発明されてからは、鮮やかな色彩の花火も作られるようになりました。

日本の花火といえば、硝石、硫黄、木炭を主とする黒色火薬で、燃焼温度が低く、炭火の火の粉のような色しか出せませんでしたが、この塩素酸カリウムが輸入された明治12年(1879)以降は、燃焼温度も上がり、ようやく赤や緑などの光や色彩を表現できるようになりました。

炎色剤には、ストロンチウムやカルシウム(紅色)、ナトリウム(黄色)、バリウム(緑)、銅(青)などの化合物が使われています。最近では、マグネシウムやマグナリウム(アルミニウムとマグネシウムの合金)などを加えることによって、さらに燃焼温度を上げられるようになり、ピンクやオレンジ、レモン色も作れるようになりました。平成10年(1998)には水色が発表され、以降も研究は続き、エメラルドグリーン、オレンジ色も新しく誕生しました。

 

温度の低い黒色火薬系だけの花火を「和火(わび)」と呼びます。

明治以降、塩素酸カリウム、炭酸ストロンチウムなどの化学薬品が加えられて、さまざまな色が出せるようになった花火を「洋火(ようび)」と呼んでいます。

 

花火の音

花火の音は、花火の楽しさを演出するための大切な要素のひとつです。花火のはじけたときの大音響と、体に伝わる振動は、花火の豪快さを直に体感できる瞬間といえます。

花火にはドーンという発射音をはじめとして、さまざまな音があります。

発射音
打ち上げ筒から玉を打ち上げるときの音。

開発音
上空で花火玉が開くときの、玉を割る音。

先割の音
菊花火の花弁の先で、消えるときに出るパリパリという音。

雷(音花火)
ドンという音を出す花火。

笛花火
笛のようなピューという音を出す花火。

 

このほかにも、音を効果的に演出できる新しい花火が作られています。

花火玉の大きさ

花火玉の大きさは「号」という単位で表し、一般的には2.5号から40号まであります。地域によりますが、花火大会では5号玉ぐらいが多く使われます。

号数(以前は寸:すん)は、基本的に玉の直径サイズではなく、打ち上げる筒の内径を表しています。

例えば、3号玉とは内径3寸(約9.1センチ)の筒で打ち上げられる玉のことです。同じく10号玉(尺玉という)の筒の内径は、約30センチとなります。

玉の重さは5号玉で約1.1キロ、30号(三尺玉)になると220キロにもなり、クレーンなどでつり上げて筒に入れます。

 

豆知識

世界一の四尺玉

昭和60年(1985)9月10日、新潟県小千谷市片貝町の片貝まつりで、四尺玉(40号)の打ち上げに成功しました。花火の打ち上がる高さは約750~800メートルと、東京スカイツリーの高さ(634メートル)を超えます。重さ420キロの花火玉は、クレーンでつり上げられて、打ち上げ筒へ入れられます。花火の打ち上げ技術では、四尺玉の大きさが限界だろうといわれています。

 

花火大会

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花火大会

最後に、国内で行われる特に規模の大きい花火大会をご紹介していきたいと思います。
花火大会は全国各地で繰り広げられ、年間およそ3千カ所で行われているといわれています。規模の小さいものも含めると、その倍の数に及ぶといわれています。

日本三大花火大会

歴史があり、規模の大きな花火大会が「日本三大花火大会」と呼ばれています。

大曲の花火(おおまがりのはなび)
秋田県大仙市物川河川敷

明治43年(1910)に始まった花火競技大会です。内閣総理大臣賞などがあり、花火師たちにとって最も華やかな大会といえます。

 

長岡大花火
新潟県長岡市信濃川河川敷

第二次世界大戦中の昭和20年(1945)8月1日に、長岡市は空襲にあい、多くの命が失われました。翌年の8月1日に「長岡復興祭」として始まったのが「長岡まつり」です。この祭りの行事のひとつとして大花火も開催されます。

 

土浦全国花火競技大会
茨城県土浦市桜川河畔

大正15年(1926)に始まった、秋に開催される珍しい花火大会です。三大花火大会のうち、最も都心に近く、交通手段も便利なため、見物客が多いのも特徴です。内閣総理大臣賞などもあります。

 

日本三大競技大会

花火の盛んな日本では、技を競うさまざまな競技大会があり、花火師たちの腕を競う場となっています。日本三大花火大会にも含まれる「大曲」と「土浦」の大会に、「伊勢神宮奉納全国花火大会(三重県伊勢市宮川下流河畔)」を合わせた3つが「日本三大競技大会」と呼ばれています。

 

豆知識

いい花火の見分け方

開(かい)
開とは「玉の座り」のことで、打ち上げられた玉が、上空の最高点に昇りつめたところをいいます。玉が座ったところで割薬に点火されて破裂するのがよく、「玉の座りがいい」とされます。

玉の座りがしっかりしているかどうか、玉が昇りつめたところで開いているかどうか、また、その高さまで上がっているかどうかを見ます。

盆(ぼん)
盆とは玉が開いた形のことをいいます。菊花火の場合は、まん丸(球)であることがいいとされ、楕円やゆがんだものなどは「盆が欠ける」といいます。

玉が開いたとき、その玉の号数の大きさに開いているかどうか、真ん中に広がって、輪郭がしっかりしているかどうかを見ます。

肩(かた)
星が放射線状に先の方まで真っすぐに飛ぶのがよく、「肩の張りがよい」という言い方をします。全部の星に火がつかなかったり、まばらになったりするのは評価が下がります。いっせいにそろって飛び散ることが大切です。

飛ぶはずの星が飛ばないことを「抜け星」、ほかの星がいっせいに飛び散っているのに、いくつかの星がふらふらと飛んでいることを「星が泳ぐ」といいます。

消え口(きえぐち)
何百と飛び散る星(花弁)が同時に開き、同時に色が変化し、同時に消えるというものがよく、「消え口がそろう」という表現をします。ひとつひとつの星が丹念に作られていることが大切になります。

配色
配色は多ければ多いほどいいとは言い切れず、色の変化もそろわず、見た目にすっきりしません。色の変化も、暗い色から明るい色に変化させて消すほうが効果的とされます。

コントラストとバランス
星を二重、三重に重ねた場合、真ん中の小さな芯星、それを囲む中星、さらに外側を描く親星という三つの星のコントラストをはっきりさせることが肝心です。それぞれの盆や輪のバランスを取るには、丹念な細工が必要となります。

 

海外の花火イベント

日本では花火そのものを見るのがメインイベントですが、海外では何かのイベントのひとつの出し物として花火が打ち上げられることが多いようです。

アメリカ「独立記念日」
ニューヨークのハドソン川沿いで、独立記念日に打ち上げられる花火は4万発で、数では世界一といわれています。

中国「春節(旧正月)」
中国では厄除けとして花火や爆竹を使います。春節の北京では、町のあちこちで市民が小さめの打ち上げ花火を上げるのが特徴です。

 

豆知識

鍵屋と玉屋

日本には、夜空にパッと広がる花火を見て「た~まや~」「か~ぎや~」と大きな声をかける風習があります。

江戸で花火が大流行していたころに活躍していたのが、二大花火師といわれる「鍵屋弥兵衛(かぎややへえ)」と「玉屋市郎兵衛(たまやいちろうべえ)」です。

鍵屋は、葦の茎に火薬を詰めて星の飛び出す花火を開発して稼いだとされています。また、商才もあったため、「花火は鍵屋」と言われるほどに市場を独占していました。

四代目になると、徳川幕府の煙火御用達商を命ぜられ、初めて民間の煙火製造業者として公認されます。江戸の豪商たちは競って鍵屋に花火を上げさせました。

六代目のときになると、清七という腕の立つ番頭が、のれん分けをして分家を作り、玉屋市郎兵衛と名乗りました。以降、鍵屋と玉屋が趣向を凝らして江戸っ子を楽しませました。

ところが、天保14年(1843)4月、十二代将軍家慶が日光参拝に出発する前日に玉屋は火災を起こし、江戸を追放されてしまいます。こうして玉屋は一代で終わってしまうのですが、技術的に優れていたためか、現在でも掛け声が残っているというわけです。鍵屋はその後も続き、江戸の華麗な花火の技術を今に伝えています。

 

まとめ

花火についてさまざまな角度から探ってみました。

一瞬で消えてしまう花火の裏側には、何年にもわたる研究や細やかな作業の繰り返しなど、多くの時間が費やされています。花火がなぜ魅力的なのか。それは、華やかな見た目の美しさはもちろんのこと、実は、花火に関わる人たちの花火に込める情熱にも感動しているのかもしれませんね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!