重陽の節句とは、菊の花を主役にした節句でもありますが、菊の花にはどんな意味があるのでしょうか。
重陽の節句とは
重陽の節句とは、中国から伝わった風習で、江戸時代に定められた五節句のひとつです。菊の花を主役にした節句でもあるため「菊の節句」とも呼ばれています。
中国では、陰陽道(おんみょうどう:光と影のように、世の中のあらゆるものは、陰と陽という相反する要素で構成されているという考え)の考え方により、奇数は「陽」と考えられています。
一桁の中でいちばん大きな数である「9」が重なるこの日は、9がふたつ重なることから「重陽(ちょうよう:陽が重なる)」として、祝いが行われる日となりました。
昔、幕府はこの日を祝日とし、庶民も菊酒や栗ごはんを食べ、お祝いする風習がありました。栗には、カリウムや葉酸、ビタミンCなどが豊富に含まれています。
重陽の節句の由来
重陽の節句は、中国ではおめでたい日としてお祝いが行われていました。その際には、菊の花が多く使われていましたが、これは「菊慈童(きくじどう)」の伝説がもとになっていると考えられます。
昔、中国で菊慈童という名の子が、菊の露が集まって川となっている場所を見つけました。そこに手を差し入れ飲んでみたところ、甘露(かんろ:上等な煎茶に似た味の古代インドの甘い飲み物で、不老長寿を授けるといわれる)のような、えもいわれぬ味わいがしました。すると、菊慈童は仙人となり、700歳まで長生きしたという説です。
あるいは、経文が書かれた菊の葉の露を飲んだところ仙人となり、少年のまま700歳まで生きたという説もあります。
京都嵐山の法輪寺では、菊慈童の伝説に基づいた「菊慈童(枕慈童)」という能が9月9日に奉納されます。
この菊慈童の伝説により、菊の花を酒に浸した「菊酒」を飲むことで不老長寿を祈ったり、菊の花の強い香りで邪気を払ったりしていました。
この風習が、平安時代に日本へ伝わり、中国同様に菊酒を飲んだり、菊の花の歌を詠み合わせたりと、宮中行事のひとつへと確立されていったのです。
重陽の節句の行事は、明治時代まで盛大に行われていました。
「お九日(おくんち)」とは、平安時代に定着した重陽の節句に、日本古来の収穫祭りが合わさったお祭りです。
長崎県の「長崎くんち」、佐賀県の「唐津くんち」、福岡県の「博多おくんち」は、日本三大おくんちと呼ばれています。
重陽の節句と菊人形
重陽の節句は、不老長寿を願い、菊の花の強い香りで邪気を払う行事でしたが、徐々に菊の花そのものに焦点が絞られていきました。
町民が豊かになった江戸時代ごろには、大輪を咲かせる菊作りがブームとなっていきます。現在では、菊の花の品評会や菊人形の展覧会などが各地で開かれるようになりました。
菊人形
菊人形とは、貴族や武者の着物を菊の花で彩った人形のことをいいます。歴史上の人物や物語の人物をモデルにし、衣服の部分を菊の花で作る独特の園芸のひとつです。
重陽の節句と菊の花
重陽の節句では、菊の花を食したり、菊の花のエキスや強い香りにより邪気を払ったりしていました。
菊の花は、奈良時代に中国から薬用として渡来し、宮中行事を中心に用いられてきました。菊の花には、肌や目によいビタミンA、Bが豊富に含まれ、また、抗菌作用も高いため、風邪の漢方薬にも使われていました。
新暦の9月9日には、まだ天然の菊は咲いていませんが、江戸時代に観賞用の菊の栽培が流行して広まったため、現在でも仏花や献花に広く使われています。
菊被綿(きくのきせわた)
平安時代の女性の間で流行した美容法のひとつです。
重陽の節句が行われる前日の8日の夜に、菊の花に綿を被せて夜露や香りを移しとり、翌朝にその綿を肌にあて、美容液のように用いていました。
白色の菊には黄色、黄色の菊には赤、赤色の菊には白の真綿を着せます。その見た目にも優雅さが感じられます。
菊湯
菊の花をお風呂に浮かべ、香りと菊の花のエキスを取り入れます。菊に含まれる精油成分は、血行を促進させ、痛みをやわらげる効果があるとされています。
菊枕
重陽の節句に摘んだ菊を乾燥させて枕に詰め入れます。この枕で眠ると長寿になれるというおまじないのひとつです。
菊の香りには、リラックス効果があるとされます。また、頭痛や肩こりにも効くとされることから、中国では漢方にも使われています。
菊花茶
菊の花を日干しして乾燥させて作られたお茶です。利尿作用があり、疲れた目を癒す効果もあるといわれています。
台湾では、喉が痛むときにも飲まれています。白や黄色の菊の花から作られます。
菊酒
昔、菊の花には長寿の効果があると信じられていたため、平安時代の人々は、菊の花を浮かべたお酒を飲んで不老長寿を願っていました。
菊酒は、菊の花の香りがほんのりとし、上品な風味のお酒です。長寿の願いを込め、現在でも「菊」の名前を付けた日本酒は数多くあります。
食用菊と鑑賞菊は、そもそも違う種類の菊です。
食用菊の歴史は江戸時代から研究され始め、「阿房宮(あぼうきゅう)」や「嫁顔(よめがお)」という品種が主でした。これらは、植物性たんぱく質やビタミン、カルシウムを多く含み、香りによる食欲増進効果も期待できました。
現在でも食用菊は用いられており、刺し身のつまに使われている小菊は、刺し身の腐食防止に役立ち、また、食べることで食中毒を防ぐ解毒作用もあるとされています。
菊花のおひたし
食用菊を用いて作ります。花びらは、酢少々を入れた熱湯でさっとゆでます。ざるにあげて水気を切り、しょう油またはカラシじょう油でいただきます。
まとめ
重陽の節句とは中国から伝わった風習で、江戸時代に定められた五節句のひとつ。
菊慈童の伝説から不老長寿を祈り、菊の花の強い香りで邪気を払うようになった。
明治時代まで盛大に行われていた。
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