クリスマスとは? ~クリスマスの起源や日本における歴史などを解説~

クリスマス! この言葉を聞くだけでワクワクした気持ちになりますね。
「クリスマス(12月25日)とはイエスの誕生を祝う日」として一般的には知られていますが、北欧では太陽を崇拝するさまざまな祭りが主体となっているようです。
北欧の祭りを中心に解説しながら、現代のクリスマスについてみていきましょう。

目次

クリスマスの物語

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クリスマスの物語

クリスマスと呼ばれるキリスト教徒の冬の祭りの中心は、クリスマスの物語です。それは、ずっと昔、はるか遠くの町の馬小屋で生まれた幼い男の子の話です。まずは、イエスの誕生物語を改めて読んでみましょう。

イエスが生まれるころのパレスチナには、ローマ皇帝に支配されていたユダヤ人の王国がありました。あるとき、ローマ皇帝アウグストゥスは、領土内の人口調査をするため、国中の男たちに故郷へ帰るよう命じました。この命令により、ナザレという村に住んでいた大工のヨセフも、婚約者であるマリアとともに、生まれた町のベツレヘムへ向かいました。ベツレヘムはナザレの村からはるか南にあり、砂漠と山を越えて行かなければなりません。ようやくベツレヘムに着いたものの、町は同じように帰ってきた人たちであふれかえっています。宿屋はいっぱいで、休めるところといえば馬小屋しかありませんでした。

ふたりがベツレヘムにいる間に、マリアは男の子を産みます。イエスと名付けられたその子は、布でくるまれると、ゆりかごの代わりに飼い葉桶の中に寝かせられるのでした。

イエスが生まれたその夜、目もくらむような光が辺りを明るく照らしました。羊の番をしていた羊飼いたちは恐ろしくなりましたが、天使が現れてこう言います。「わたしは、全ての人々に与えられる大きな喜びを知らせに来たのです。今日、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまれて飼い葉桶の中で寝ている乳飲み子を見つけるでしょう。」そのあと、激しい羽ばたきの音とともに、天使たちの神をたたえて歌う声が聞こえてきました。「高き所では、神に栄光があるように、地の上では、人々に平和と善意があるように」天使たちがいなくなると、羊飼いたちは急いでベツレヘムへ行き、馬小屋で乳飲み子のイエスを見つけるのでした。

同じ日の夜、空にひときわ大きな星が輝きました。それに気付いたのは「東方の三博士」でした。この星は、新しい指導者となる「救い主」が誕生した印に違いない。そう考えた博士たちは、贈り物を携えると、はるか東方から星に導かれて歩き出しました。パレスチナの都エルサレムに着くと、博士たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と尋ね回ります。これを聞きつけたのが、当時ローマ皇帝からユダヤ人の王に任命されていたヘロデでした。ヘロデは、その子に自分の地位を奪われるのではと不安になり、聖職者たちからベツレヘムで生まれたことを知ると、博士たちに「私も行って拝みたいから」と詳しく調べるよう命じます。

博士たちが再び星に導かれて進んでいくと、星はベツレヘムの馬小屋の上で止まりました。博士たちは、乳飲み子イエスとマリアとヨセフを見て喜び、イエスの前にひれ伏すと、贈り物の黄金と乳香と没薬を捧げるのでした。

博士たちはその後、イエスを見つけたことをヘロデ王へは知らせず、別の道を通って自分の国へ帰ってしまいます。王の命令に従わないようにと、夢でお告げを受けたからでした。ヘロデは、だまされたことを知るとたいそう怒り、ベツレヘムの男の幼子をひとり残らず殺そうと、家来たちを送ります。しかし、ヨセフはマリアとイエスを連れて、安全なエジプトにすでに逃げていました。ヨセフもまた、天使から「ヘロデがイエスを殺そうとしている。エジプトへ逃げなさい。」と夢でお告げを受けていたのでした。

イエス
人々に神を敬うことや、お互いに愛し合うことを教えた。その教えは、キリスト教という宗教になって、世界に広まった。

マリア
イエスの母。天使ガブリエルから受胎告知を受け、聖霊によって身ごもり、ベツレヘムでイエスを産む。イエスと唯一血のつながった肉親。

ヨゼフ
ベツレヘム出身の木工職人。王家の血筋。イエスの父といっても血のつながりはない。

ナザレ
今のイスラエル北部のガリラヤと呼ばれる高地にある都市。

ベツレヘム
イスラエル共和国が首都としているエルサレムの南にある都市。ユダヤではダビデ王の出身地として知られ、のちにイエス生誕の地として世界的に有名になる。

飼い葉桶
家畜に食べさせる飼料を入れておく入れ物。当時のユダヤで使われていた飼い葉桶は、日干しレンガや大きな石をくり抜いて作ったものだったそう。

天使
神をたたえたり、人々を守ったり、神からの言葉を人々に伝えたりする。マリアに「男の子を産むだろう」と告げたのは大天使ガブリエルだった。


ベツレヘムの星を象徴している。日本ではたいてい角が5本ある五芒星だが、基本的に決まった形はない。占星術の学者たちをベツレヘムまで導いた「星」の正体は今もはっきりしていないが、惑星接近説が有力。天文学者ヨハンネ・ケプラーは、イエスの誕生と推測される紀元前6年ごろの2月に、木星と土星と火星の3つの惑星がうお座でひとかたまりになり、日没後の西の空で一緒に輝いていたことを判明させた。当時の占星術では、木星、土星、火星はそれぞれ「パレスチナ」「王」「子ども」を表すと考えられていたそう。

三博士
東方からイエスを拝みに来た占星術の学者。聖書には3人という記述はないが、アレクサンドリアの教父オリゲネスが、3種類の贈り物に合わせて、学者も3人だったのではないかと言い出し、それが定着したよう。6世紀ごろには、「メルキオール」「カスパール」「バルタザール」という名前だったとされ、後に年齢も老人、若者、中年、また、それぞれヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人だったという新設定まで付け加えられた。

黄金
化学変化をほとんど起こさず輝きを失わないことから、金属そのものとしての特性よりも通貨としての価値が重視され、権力の象徴ともされてきた。

乳香
カンラン科の乳香樹などの樹液から作られる、ザラメのような琥珀色の樹脂。甘くスパイシーな香りのする樹脂を加熱すると、木のような芳香を含んだ白い煙が立ち上る。古来、神に捧げる香として使用されていた。シュバの女王の重要な交易品のひとつといわれ、オマーンのホール・ルーリに残る乳香交易路の跡は、世界遺産にも指定されている。

没薬
カンラン科の木から得られる、香りの良い樹液から作られる黒褐色の樹脂。漢方薬のような匂いがする。薬効は乳香とほぼ同じだが、古くからその抗菌効果が知られ、古代エジプトではミイラの防腐剤に使われた。

 

豆知識

イエスの誕生日は何月何日?

キリスト教成立当時は、イエスの誕生日を祝うという習慣はまだ存在していませんでした。初代教会にとっては、イエスの死と復活のほうが重視され、復活祭(イースター)はかなり初期から祝われていたようです。3世紀に入ると、ようやくイエスが人として地上に来たことも重要な救済の出来事と考えられるようになったため、イエスの生まれた日を確定する必要が出てきました。しかし、イエスの復活が「イエスの死から3日目の日曜日=過越祭(ユダヤ教の春祭り)明けの日曜日」と聖書に明記されているのに対し、イエスが何月何日に生まれたかはどこにも書いていません。そのため、イエス誕生の日については、諸説考えられるようになりました。

 

1月6日説
2世紀中ごろから4世紀にかけて、バシレイデス派というキリスト教の分派が、エジプトのアレクサンドリアで活躍していました。バシレイデス派は、「イエスは人間だったが、洗礼を受けたことによってこの世に神として顕現した」と考え、独自に1月6日あるいは10日をイエスの洗礼記念日として祝っていました。

もともと1月6日には、エジプトでは冥界の神オシリスの祭りが行われていました。神話によると、オシリスは他の神に殺されるが、死体をつなぎ合わされて見事復活し、死者を司る神になったといいます。死後の再生を信じてミイラまで作ったエジプト人にとっては、崇拝し足りないほどの神でした。のちに、オシリスはギリシャ神話の酒神ディオニュソスとも同一視され、ローマ時代には彼らを崇拝するさまざまな密儀宗教が存在していました。バシレイデス派はイエスのほうが真の神であると主張するため、あえてライバル宗教の祭日にイエスの洗礼日を合わせたようです。この習慣がのちに東方正教会に伝わった際、「イエスは洗礼によって神になったのではなく、生まれたときからすでに神であった」という正統派の神堂が反映され、1月6日はイエスの洗礼と同時に誕生も祝う日として定着していきました。

 

12月25日説
一方、ローマから広まったのがおなじみの12月25日説。この日はもともと、当時ローマに普及していたミトラ教の祭日でした。ミトラ教は太陽神ミトラを崇拝しており、ローマに輸入されたころから、太陽の勢いが最も小さくなる冬至に当たる12月25日を「この日を境に太陽が力を取り戻し始める日=不滅の太陽の誕生日」として祝っていました。これに対し、ミトラ教最大のライバルだったキリスト教は、「12月25日には真の『義の太陽』イエスの誕生をこそ祝うべきである」と主張し、ミトラ教が徹夜で「不滅の太陽の誕生日」を祝ったのに対し、徹夜でミサを捧げるようになりました。そして325年、トルコのニカイアで開かれた教会会議(ニカイア公会議)で、「キリストとは何者か」という教義が整理されていった際、クリスマスも正式に12月25日と決まったということです。

1月6日より12月25日が採用された背景には、初めてキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世の思惑もあったようです。コンスタンティヌスはキリスト教を保護したうえで、ミトラ教とキリスト教を平和裏に混交させようと考えていたようです。ただ、そのあとミトラ教が衰退したため、結果として「12月25日といえばイエスの誕生日」という共通理解だけが残ることとなったのです。なお、現存する文献の中では、336年の教会暦に、12月25日にクリスマスを祝ったという記録が残っています。また、12月25日を祝う地域でも、「クリスマス」といえば1月6日までの12日間を指すことが多いようです。

 

その他の説
243年に出たある書物では、「3月28日」説が提案されています。旧暦(ユリウス暦)の春分にあたる3月25日に天地創造が始まったと考え、太陽が創造された第4日目(3月28日)を「義の太陽」イエスの誕生日と考えたものです。その他にも、2月2日、3月25日、4月2日、4月19日、4月29日、5月20日、11月8日、11月17日、11月18日…などがイエスの誕生日とされたという記録があります。

 

クリスマスの起源

次に、クリスマスの起源とされる主な祭りについてみていきましょう。

サトゥルナリア祭
1月6日の「オシリス/ディオニュソス祭」、12月25日の「不滅の太陽の誕生日」がキリスト教に吸収合併されたわけですが、ローマ帝国にはもうひとつクリスマスに大きな影響を与えた祭りがありました。

12月17日から24日にかけて、ローマ帝国では農耕の神サトゥルヌスの祭り「サトゥルナリア祭」が行われていました。この期間、仕事はすべて休みとなり、人々は夜通し騒ぎ、親しい人同士でプレゼントを贈り合います。現在の世俗のクリスマスの陽気な面、プレゼント交換やお祭り騒ぎの習慣は、このサトゥルナリア祭の伝統から受け継がれたものといわれています。

 

ユール
比較的温暖な地中海沿岸で「サトゥルナリア祭」が行われていた一方、中部ヨーロッパには「ユール」と呼ばれる別の冬至祭がありました。アルプス以北のヨーロッパにおける冬の厳しさは想像を絶するものがあります。1年の半分近くは日も短く、作物も育たない不毛の期間を過ごさなければなりません。保存食を食べつなぎ、毎年やっとの思いで冬を越すのです。特に、1日の大半が闇に包まれる冬至の前後は、さまざまな悪霊がうろつく恐ろしい期間と考えられていました。そこで、悪霊たちをなだめるための祭り「ユール」が生まれたのです。

「ユール」の語源は、「季節の変わり目」や「太陽の進行が活発になること」あるいは、単に「祭り」や「12月」の意味ともいわれています。12月の10日間ないし12日間、人々はなけなしの保存食を料理してご近所と分け合い、酒で乾杯し、北欧神話の豊穣の女神フレイヤに生贄の豚を捧げました。その間、暖炉で「ユールログ」と呼ばれる大きな薪を燃やし続けるなど、数々の儀式が行われました。今でも北欧ではクリスマスのことを「ユール」と呼んでいます。

冬至の祭りはヨーロッパだけでなく世界各地にみられます。インドには「マカラ・サンクランティ」と呼ばれる祭りがあり、韓国ではトック(餅)を入れた小豆ぜんざいを食べて無病息災を祈ります。この冬至を特別視する万国共通の感覚が、「クリスマス」が宗教を越えて受け入れられた背景にあるのかもしれません。

キリスト教とローマの文化が地中海沿岸からヨーロッパ前途に広まっていく過程で、北のユールと南のサトゥルナリア祭、この2つの冬至祭が混交し、現在の「クリスマス」の原形が形成されていきました。また、キリスト教を伝えた宣教師たちもこうしたヨーロッパ古来の習俗をあえて残し、例えば、従来魔除けのためだったユールログを「幼子イエスが凍えないようにするために燃やし続ける」とするなど、キリスト教と結び付けた新たな意味付けをし直すことにより、これらの儀式をキリスト教に吸収していきました。「クリスマスが世俗に毒された」というより、むしろクリスマスのほうが世俗のお祭りを積極的に取り込んでいったというのが事実なのです。

 

この「お祭り」の要素が色濃く残ったおかげで、キリスト教以外の人々にもクリスマスが普及したといえます。

 

クリスマスカレンダー

さまざま要素が混ざり合って成立したクリスマス。日本のクリスマスシーズンは12月25日を過ぎるととたんに終わるのが大きな特徴ですが、キリスト教をベースに文化を発展させてきたヨーロッパでは、クリスマスの前後もいろいろなイベントがあります。主なものを紹介していきましょう。

 

万聖節/諸聖人の日(11月1日)
カトリック教会では、この日は独自の祝日を持たないすべての聖人たちのための祝日とされています。万聖節の前夜には、イギリスやアメリカでは、ハロウィンの祭りが行われます。ドイツの一部の州、オーストリア、イタリア、フランス、スペインなどでは休日になっています。

 

万霊節/死者の日(11月2日)
すべての死者のための祝日とされています。現在では万聖節と一緒になり、この2日間は日本のお彼岸同様、墓参のシーズンになっています。

 

聖マルティヌスの日(11月11日)
4世紀に実在した修道士マルティヌスを記念する祝日。マルティヌスはローマ軍の騎兵としてガリア(現在のフランス)に勤務。退役後、ポワティエにヨーロッパ初の修道院を作り、のちに故郷トゥールの司教に就任、ガリア全域を伝道して回りました。フランスの守護聖人として崇敬を受けています。

騎兵時代のある日、裸で震える物乞いに出会ったものの何もあげる物がなかったため、自分のマントをふたつに切って施したという逸話で知られています。この逸話から「プレゼントをする聖人」というイメージが生まれたようで、かつてはこの日、サンタではなく聖マルティヌスが良い子に贈り物を持ってくるという民間伝承がヨーロッパ中にあり、現在でも一部の地方では子どもへのプレゼントの習慣が生き残っています。

中部ヨーロッパ一帯では、1年の農耕を締めくくる秋祭り「聖マルティヌス祭」が行われ、この日を境に冬ごもりが始まります。

キリスト教の暦では、復活祭(イースター)に先立つ、日曜日を除く40日間を「四旬節(レント)」と呼んでいます。それに対し、聖マルティヌスの日からクリスマスまでの約40日間も「小四旬節」と呼ばれることがあります。なお、第一次世界大戦の休戦記念日にもあたり、ベルギーなどではこの日を祝日にしています。

 

サンクスギビングデー(11月第4木曜日)
アメリカの収穫感謝祭。1620年12月、プリマス(現在のマサチューセッツ州)に上陸した清教徒(ピューリタン)たちは、飢えと寒さのため、その半数が命を落としました。しかし、生き残った移民たちは、近隣の親切なネイティブアメリカンの農業指導もあり、翌年、新天地で初めての収穫を上げることができました。これに感謝して、ネイティブアメリカンも招いてパーティーを開いたのが始まりです。アメリカではサンクスギビングデーを過ぎるとクリスマス商戦が始まります。

 

ヴァイナハツマルクト
ドイツでは年末になると国中で「ヴァイナハツマルクト(クリスマス市)」が開かれ、人々はクリスマス用の飾り物や食材などを存分に仕入れます。市が始まるのは毎年11月最後の日曜日の前の金曜日。この日には、ニュルンベルクの聖堂前広場で、ドイツ独特のサンタクロース「クリストキント」に扮した女の子がクリスマス市の開催を宣言します。

 

聖カタリナの日(11月25日)
「14救難聖人」のひとりで、309年ごろ、アレクサンドリアで殉教したとされる聖人カタリナの祝日。ヨーロッパ各地ではこの日、聖カタリナが女の子たちにプレゼントをする習慣がありました。現在でもスペインのカタロニア地方では、聖ニコラウスが男の子、聖カタリナが女の子にプレゼントを贈るということです。

未婚の女性および裁縫業の守護聖人である聖カタリナにちなみ、パリでは25歳になった未婚の女性が「カトリネット」と呼ばれ、緑と黄色の2色の大きな帽子をかぶって町を歩く帽子コンクールが開かれます。

 

使徒聖アンデレの日(11月30日)
12使徒のひとり、アンデレの祝日。かつてはこの日に子どもへのプレゼントがされていて、ドイツの一部地域では現在もこの風習が残っているといいます。

 

待降節「アドべント」
イエスの降誕を迎える心の準備をする期間。日ごろの行いを反省する厳粛な期間とされ、カトリック教会では結婚式も行われません。11月30日の前後で最も近い日曜日から始まります。早い年は11月27日、遅い年は12月3日が「待降節第1主日」となります。

 

聖バルバラの日(12月4日)
「14救難聖人」のひとりで、306年ごろ、ニコメディア(現在のトルコ北西部イズミット)で殉教したとされる聖バルバラの祝日。この日にもプレゼントを贈る習慣があり、現在でもチェコの一部などでは、サンタの代わりにバルバラがプレゼントを配ります。

この日に桜の枝を切って花瓶に差し、クリスマスに花が咲くと幸運が訪れるとされています。また、水を張った小皿に小麦をまき、芽の吹き方で翌年の作物の実りを占う習慣もありました。

 

聖ニコラウスの日(12月6日)
サンタクロースのモデルとして有名なトルコの聖人ニコラウスの祝日。この日にはヨーロッパ各地で聖ニコラウス祭が行われ、地方によってはクリスマスではなくこの日の前夜に、聖ニコラウスが子どもたちにプレゼントを配ってくれます。サンタの本場フィンランドでは独立記念日にあたり、サンタやクリスマスとは特に関係なく盛大なお祭りが開かれます。

 

マリア無原罪の御宿りの日(12月8日)
マリアが原罪を持たず母の胎内に宿った日とされていて、カトリック圏のイタリア、オーストリア、スペインでは国民の休日になっています。「マリアがイエスを身ごもった日」と勘違いされることが多いです。

 

聖ルチアの日(12月13日)
4世紀初めに殉教したとされる、シチリア島シラクサの聖人ルチアの祝日。旧暦(ユリウス暦)では、この日が冬至に当たります。スウェーデンでは毎年、「聖ルチア祭」が盛大に祝われます。裾の長い白装束に緋色のベルトを締め、コケモモの葉で編んだ冠に数本のろうそくを立ててかぶった少女たちが、「サンタ・ルチア」の歌を歌いながら病院などを回ります。各家庭では、一番年下の女の子が、この扮装で両親(または家族のひとりひとり)にモーニングコーヒーを持っていく習慣があります。スウェーデン国内の他では、アメリカやフィンランドのスウェーデン系住民だけに伝わる独特のお祭りですが、本国では本家クリスマスをしのぐほどの盛り上がりを見せます。

 

ポサダ(12月16日~24日)
ポサダとはスペイン語で「宿屋」のこと。メキシコでは、この日からクリスマスイブまで、マリアとヨセフの人形を載せたおみこしを担いだ子どもたちの行列が、キャロルを歌いながら旅の夫婦を泊めてくれる家を探します。毎夜どこかの家が一家の「宿」を提供し、子どもたちのためのホームパーティーが開かれます。その際、「ピニャタ」と呼ばれる張りぼて人形が庭に吊るされます。この中にはお菓子がたくさん詰め込まれていて、目隠しをした子どもたちが順番にこの張りぼてを棒でつつくという、スイカ割りとくす玉割りを合わせたような遊びを楽しみます。

 

使徒聖トマスの日(12月21日)
12使徒のひとり、トマスの祝日。イエスの復活を最後まで疑ったため、祝日も最後にされてしまったといわれています。ボヘミア、バイエルンなど一部地域ではこの日、プレゼントを持ったサンタの代わりに、ハンマーを持ったトマスが現れ、悪い子を懲らしめて回ります。古いヨーロッパの民俗信仰では、この日から悪霊、死霊、魔王が戸外をうろつきだすと教えられてきました。また、この日の天気が良ければ、次の年も好天に恵まれるという言い伝えもあります。

 

ハヌカ
これはキリスト教の教会暦にはありませんが、ユダヤ暦の第9月(キスレヴ月)25日から第10月(テヴュト月)2日までの8日間、太陽暦でいえば12月ごろに行われるユダヤ教の祭りのことをいいます。

紀元前3世紀末、ユダヤを支配下に置いたセレウコス朝シリアは、ヘレニズム化政策を推進し、ユダヤ教に猛烈な迫害を加えました。これに対し、紀元前167年、祭司マタティアと5人の息子たちが反乱を起こしました。マタティアの後を継いだ三男ユダ・マカバイは激しい戦いの末、紀元前164年、ついにエルサレムと神殿を奪回します。異教徒に踏み荒らされた神殿を清めるためユダが清めの儀式を行った際、1日分しかなかった聖油が不思議なことに8日間も燃え続けたといいます。その奇跡と神殿回復の喜びを記念して、詩編の「ハレル」と呼ばれる賛歌を朗読し、「ハヌキヤ」という8本に分かれた燭台に毎日1本ずつろうそくを灯します。子どもたちは「ドライデル」というヘブライ文字の書かれた四角い駒を回して遊びます。

イスラエルでは過越祭・五旬祭・仮庵祭のユダヤ三大祭ほど大がかりには祝われないようですが、アメリカ在住のユダヤ人たちはクリスマスへの対抗意識もあってか盛大にハヌカを祝います。子どもにプレゼントを贈る習慣もクリスマスの影響を受けて追加されたものとみられています。

 

クリスマスイブ(12月24日)
ヨーロッパでは、この日は休日、もしくは早めに仕事を切り上げ帰宅し、家族と一緒に夜のミサやキャンドルサービスに出かけます。西洋では昔、日没から1日が始まることになっていたため、24日の夕方にはもう「クリスマス」に入っているものと考えられました。ちなみに「クリスマスイブ」のイブは「前日」という意味ではなく「夕方(イブニング)」のイブです。

 

クリスマス(12月25日)
ヨーロッパではほとんどの国が休日となり、官公庁はおろか商店もシャッターを下ろし、静かなクリスマスを迎えます。アジアでは韓国、香港、マレーシア、フィリピン、シンガポール、インドネシア、ミャンマー、ベトナム、バングラデシュ、スリランカ、インド、アフリカでもケニア、コートジボワール、ナイジェリア、南アフリカ、タンザニア、ジンバブエなどがクリスマスを国民の休日としています。多くはキリスト教国ですが、スリランカのような仏教国にもクリスマス休暇があります。

ヨーロッパでは、この日の夜から1月6日の前夜までを「十二夜」と呼びます。現在は「クリスマスシーズン」程度のニュアンスで使われる呼び名ですが、もともとは冬の象徴である悪霊たちが外をうろつく危険な時期と考えられていて、古くはさまざまな魔除けの儀式が行われていました。

 

聖ステファノの日(12月26日)
キリスト教会最初の殉教者ステファノの祝日。イギリスや北欧では、この日は「ボクシングデー」と呼ばれます。かつて貧しい人に食糧や衣服、寄付金を入れた「箱(ボックス)」を施した習慣の名残りで、最近までは、お手伝いさんや郵便屋さんなど日ごろお世話になっている人たちに心づけの「箱」をあげる習慣がありました。ポストに入れておくと、郵便屋さんからのお礼状がもらえたそうです。現在でも事務所に置いた共同募金箱をこの日に開けて忘年会をしたり、従業員にプレゼントの箱を配ったりする会社があるようです。たいがいのキリスト教国では、24日ないし25日からこの日までがクリスマス休暇になっています。

 

幼子殉教者の日(12月28日)
「ユダヤの新しい王」イエスの誕生を知り、自分の地位がおびやかされるのを恐れたヘロデ王は、ベツレヘム一帯で生まれた2歳以下の男の子を皆殺しにさせたといいます。この、いわばイエスの身代わりになった子どもたちのことを記念する日もクリスマスシーズンには設けられています。クリスマスは決して喜びばかりのお祭りではないこと示しています。

 

ホグマネイ(12月31日)
カトリックの教会暦では、教皇シルヴェストル1世の祝日とされています。プレスビテリアン(長老派教会)が多数を占めるスコットランドでは、クリスマスの祭りは「異教の慣習」とされ、あまり盛んではありません。そのかわり、この日「ホグマネイ」という年越し祭りが盛大に祝われ、「オールド・ラング・ザイン(蛍の光)」を歌います。クリスマスやボクシングデーは家の中で静かに祝われるのに対し、この日は外で騒ぐのが基本。ニューヨークのタイムズスクエアなど世界各地でみられるカウントダウンパーティーも、この伝統に連なったもののようです。

 

新年(1月1日)
クリスマスから8日目のこの日は、イエスの命名と割礼の儀式が行われた日とされています。また、東方正教会では、聖バシレイオスの祝日が祝われます。大抵の国では休日になっていますが、日本のように三が日休むことはありません。ただ、ホグマネイで新年の朝まで飲み続けるスコットランドでは、二日酔いを見越してか、1月2日まで休みになっています。

 

公現日「エピファニー」(1月6日)
エピファニーとは、ギリシャ語で「顕現」を意味します。実は、エピファニーのほうがクリスマスよりも歴史は古く、クリスマスが祝われる前から、この日は「イエスが洗礼を受けた日」として祝われていました。その後、イエスの誕生日が12月25日と決まってからは、この日は東方からきた占星術の学者たちが幼子イエスを礼拝した日とされ、エピファニーも「イエスが異邦人に自らを顕現した記念日」という意味でとられるようになりました。

スペインではこの日の前夜、サンタクロースではなく占星術の学者たちが3人がかりでプレゼントを配って回ります。また、「十二夜」の風習が残っている地方では、このころに悪霊を追い出す祭りが行われます。

ドイツの一部の州、オーストリア、イタリア、スペイン、フィンランド、ギリシャなど多くの国では、この日も国民の休日になっています。

 

ロシア正教のクリスマス(1月7日)
ロシア正教など、旧暦(ユリウス暦)に従って教会暦を組んでいる大半の正教会では、現在でも旧暦の12月25日にあたるこの日にクリスマスを祝います。ユリウス暦は現行のグレゴリウス暦と比べると128年に1日ずつずれていくので、22世紀には1月8日に移動するそうです。また、12月25日をクリスマスとして認めていないエルサレムのギリシャ正教会などでは、旧暦1月6日にあたる1月19日にクリスマスを祝います。

 

キャンドルマス(2月2日)
この日はイエスが神殿に奉献された日とされ、7~8世紀ごろから正式に祝われています。宗派によって「主の奉献の祝日」や「聖母マリア潔めの日」とも呼ばれています。奉献の儀式とキャンドルは特に関係ありませんが、後世、クリスマスにキャンドルを灯す習慣が定着してから、この日もクリスマスシーズン総まとめの日としてキャンドルを灯すようになったと思われます。日本の暦では冬と春を分ける時期ですが、教会暦によるクリスマスシーズンもこの日で終了します。

暗く厳しい冬を乗り切るために、さまざまなお祭りが配置されたクリスマスシーズン。キャンドルマスが終わると、カーニバル(謝肉祭)を経てレント(四旬節)が始まり、そして、春のイースターへと続いていきます。

 

日本のクリスマスの歴史

さてここで、日本のクリスマスの歴史について振り返ってみましょう。

日本にキリスト教が伝来したのは1549年のことですが、その3年後の1552年12月25日(日本の暦では天文2年12月10日)に、日本最初のクリスマスミサが行われています。ザビエルの後を受けて山口で布教活動をしていた宣教師コメス・デ・トルレスらが、山口の司祭館に日本人信徒を招いてクリスマスを祝ったといいます。その後、キリスト教は禁制となりましたが、潜伏キリシタンたちは密かにクリスマスのミサを守っていたでしょうし、長崎の出島でもオランダ人たちが「阿蘭陀正月」と呼び方を変えクリスマスを祝っていたことが記録されています。

開国とともに復活した日本のクリスマスですが、最初は日本に赴任した外国人の間だけで祝われたもので、1860年プロイセン公使オイレンブルク伯爵が芝赤羽の宿舎で各国公使を招いてクリスマスパーティーを開いたという記録があります。このとき、宿舎の柱に杉の葉を巻きつけ、ちょうちんや砂糖菓子で飾り付けた日本最初のクリスマスツリーが出現しています。

日本人主催による初めてのクリスマスは、キリスト教禁制が解かれた翌年の1874(明治7)年のことで、東京の原女学校(現在の女子学院の前身のひとつ)で行われたものではないかといわれています。創立者である原胤明(はらたねあき)は、感謝の意を込めてクリスマス会をセッティングしたのですが、現在のようにクリスマス文化が浸透していない時代、何からどうすればよいのか手探り状態で準備されたため、ミカンで飾られた十字架を天井からぶら下げる(これは下見に来たアメリカ公使館員によって撤去された)など、きわめて独特のスタイルで挙行されたようです。また、日本最初のサンタクロースもこのクリスマス会で登場しましたが、どういうわけか裃に大小の刀を差し、ちょんまげのかつらをつけた殿様風の格好だったとのことです。

民間にクリスマスが広まったのは、1880年代、クリスマス用品を輸入したころからだといわれています。日本の急激な西洋化に伴い、19世紀も終わりころには、クリスマスは年中行事のひとつとして、キリスト教徒ではない人たちにも受け入れられていました。

大正デモクラシー時代には、ダンスホールでのダンスパーティーやホテル主催のクリスマスパーティーが盛んに開かれ、デパートも派手に店内を飾り立てて庶民の消費意欲をあおりました。

やがて、日本が軍国主義に傾き、1937(昭和12)年、日中戦争に突入すると、クリスマス商戦やお祭り騒ぎは一気に自粛されました。さらに、アメリカやイギリスとも開戦するに至り、キリスト教自体が国家の監視下に置かれることとなります。すでにキリスト教と関係のなくなったはずのクリスマスも、やはり、舶来の風習ということで規制を受けました。

戦後クリスマスは再び息を吹き返しましたが、敗戦直後の庶民は食べるのに精一杯で、GHQの将兵や一部の恵まれた人たち以外はクリスマスどころではありませんでした。1948年には大正を思い出させるダンスパーティーが行われたり、1951年には神戸にクリスマス雑貨を扱う業者の組合が設立されたりしましたが、これも当初は輸出が主でした。日本製クリスマスオーナメントは海外で好評を博し、復興期の日本に貴重な外貨をもたらしてくれました。現在でも、日本に流通するクリスマス雑貨の7割が神戸で作られているそうです。

高度経済成長が達成された70年代、庶民は豊かになり、豪華なクリスマスプレゼントを贈り合うように仕向けられます。80年代ともなると、クリスマスは家庭だけではなく、恋人たちが親密度を深める季節となり、バブル経済も手伝って「クリスマス商戦」が急加速。バブルが崩壊し、戦後最大最長の不況に突入した90年代に入っても、クリスマスの商業化は止まりませんでした。むしろ、平常時以上に売り上げの見込めるチャンスとして、不況下でこそクリスマスが注目されたのです。

 

キリスト教伝来や大正デモクラシーなど、日本社会の国際化が進むとクリスマスも盛り上がり、逆に太平洋戦争中など日本が内向きになるとクリスマスは下火になる傾向があります。クリスマスはまさに「時代の鏡」とでもいうべきイベントなのかもしれません。

 

各国のクリスマス事情

さて、キリスト教とともに世界へ広がったクリスマス。国によって変化の仕方はいろいろです。各国のクリスマス事情をみてみましょう。

 

イギリス/アメリカ合衆国
イギリスでもアメリカでも、12月になると近所の人々や友だちの家の戸口で、賛美歌を歌っている子どもを見かけることがあります。ドアを叩いて歌をうたうと、家の人が子どもたちを中に招き入れ、おいしいものや温かい飲み物をごちそうしてくれることもあるようです。

クリスマスの日は、家族だけでなく友だちも呼んで、ごちそうを食べます。テーブルには、七面鳥のローストやクリスマスプディング、ミンスパイなどが並びます。

イギリスやアメリカの家では、クリスマスにヒイラギをよく飾ります。白い実のなるヤドリギも、特にイギリスではクリスマスのお祝いに使われます。

クリスマスイブになると、イギリスの子どももアメリカの子どもも、暖炉の上かベッドの足元に靴下をぶら下げます。子どもたちが眠ると、鈴を付けたトナカイの引くそりに乗ってサンタクロースがやって来て、煙突などからこっそりと家の中に入ってきます。そして、必ずクリスマスの朝までには子どもたちの靴下にプレゼントを入れておいてくれるのです。

 

ドイツ

クリスマス,リース,赤いキャンドル

リースと赤いキャンドル

ドイツの子どもたちは12月に入るとすぐにアドベントのカレンダーを使い始めます。また、モミの枝を束ねてリースをつくる子どももいます。リースには赤か黄色のロウソクを4本立てて、アドベントの最初の日曜日から毎週1本のろうそくに火を灯します。すると、クリスマスには4本とも明るく輝くことになるのです。

ドイツのいくつかの地方では、子どもたちがプレゼントをお願いする手紙をクリストキント(幼子のキリストという意味)にあてて書きます。すると、家族でくつろいでいるときに突然、玄関のドアが少し開き、小さなプレゼントが投げ込まれることがあります。こうしたプレゼントについては、不運を招かないためにも、送り主が誰かを知ろうとしてはいけません。

ドイツでは、クリスマスツリーの飾り付けをするのはお母さんの役目。子どもたちはイブの夜、初めて目にすることになります。なかなか眠れないのも無理ありませんね。

 

  • クリスマスツリーとクモの巣
    こんな言い伝えがあります。
    お父さんのいない家があり、お母さんが子どもたちのためにひとりでツリーを飾り付け、やがて眠ってしまいました。その間にクモが来て、ツリーの全体にクモの巣をかぶせてしまいました。通りかかった幼子のイエスは、このクモの巣をそっくり銀の糸に変えてしまいます。クリスマスの朝、目を覚ましたお母さんと子どもたちはどんなに喜んだことでしょう。

 

ツリーにきらきら光る金銀のモールを飾るようになったのは、この話がもとになっているといいます。

 

オランダ
オランダでは、12月6日が聖ニコラウスの日になっています。聖ニコラウスは、オランダではシンタクラースと呼ばれています。この呼び名がイギリスやアメリカ合衆国に伝わり、サンタクロースという名前になりました。

また、クリスマスイブに聖ニコラウスのパーティーを開くこともあります。宝探しをしたり、家族の誰かに当てた詩を書いたりします。詩にはどれにも「シンタクラースより」というサインをして、誰が書いたか分からないようにします。パーティーの夜は、多くの家でマジパンと小麦粉で作った文字のケーキを食べます。家族の名字の最初の字を大きなケーキに焼いたり、家族ひとりひとりの文字を付けたケーキをたくさん焼いたりします。

 

ポーランド/チェコ/スロバキア
ポーランドの子どもたちは、クリスマスイブになると夜空を見上げ、一番星が出るのを待ってからお祝いのごちそうを食べ始めます。みんながテーブルに着くと、まず、オプワテックと呼ばれるウエハースが回ってきます。このウエハースにはマリアとヨセフと幼子イエスの絵が押してあり、少しずつちぎっては、隣の人に渡していきます。田舎のほうでは、農場の動物たちにも分け与えることがあるようです。また、マリアがイエスを連れて来てもいいように、テーブルの下に干し草を敷き、空席を2つ用意しておく場合もあります。

チェコやスロバキアの子どもたちは、12月6日の夜空を眺めます。聖ニコラウスがプレゼントの詰まった袋と石炭の詰まった袋をかついで、空から下りて来るといわれているのです。聖ニコラウスがやって来る音を聞きつけると、子どもたちは急いでテーブルに着き、プレゼントがもらえるようにお祈りをします。テーブルには幼子イエスのために空席をひとつ用意しておきます。

 

フィンランド
フィンランドでは、クリスマスイブの朝にクリスマスツリーを取りに行きます。ツリーにふさわしい木を切り倒し、そりに乗せて家まで運びます。それから、夜のパーティーに間に合うように飾り付けをします。

フィンランドのクリスマスのごちそうは、ハムまたは塩漬けの肉と酢漬けのニシン。そこにカブとニンジンと塩漬けのキュウリを添えて食べます。

 

ノルウェー
ノルウェーの家庭では、12月の初めになるとクリスマス用のお菓子を焼き始めます。ユールカーケと呼ばれるのは、干しブドウや砂糖漬けの果物の皮やカルダモンを入れたクリスマス用のパンですが、そのほかにもビスケットやケーキをたくさん作ります。また、生姜パンもよく作られます。

 

スウェーデン
スウェーデンでは、12月13日に町でも村でも聖女ルチアにちなんだお祭りが行われます。12月12日には、ルチア祭用の特別な菓子パンと生姜入りの平たいクッキーを作ります。そして、13日の朝が来るとどの子も早起きをし、一家の中で年長の女の子がルチア姫になり、白いドレスを着て赤い帯を締めます。兄さんや弟たちは白い服を着て「星の子」になります。ルチア姫になった女の子は、聖女ルチアと同じようにロウソク(今はろうそく型のライトも使われている)の付いた特別なトキワ木(冬でも葉が緑の木)の冠を頭にかぶります。そして、菓子パンとコーヒーがのったトレーを持って、まだ寝床にいる家族のもとへ運んでいきます。

 

ロシア
そのむかし、ロシアの子どもたちのクリスマスの靴下には、黒パンが入れられることになっていました。次のような言い伝えがあります。

あるところに、旅人に親切なバーブシュカ(ロシア語でおばあさんという意味)がいました。冬の朝のこと、3人の立派な身なりの旅人が通りがかり、食事と宿を頼みました。バーブシュカは黒パンとお茶をごちそうし、自分の大きなベッドを貸してあげました。3人が目を覚ましたとき、なぜ夜の間旅をしていたのか、そのわけを尋ねました。「わたしたちは星に導かれ東のほうからやって来た学者です。幼子イエスのところへ行こうとしているのです。」と3人は答えました。バーブシュカは自分も一緒に行きたいと思いましたが、まず家の中を片付けておきたかったため、あとから学者たちを追いかけることにしました。そして、捧げものにする黒パンを持って出かけました。バーブシュカが何か月もかかってベツレヘムにたどり着いたとき、馬屋にはもう動物たちしかいませんでした。イエスに自分が来たことを知ってもらいたくて、バーブシュカは飼い葉桶の中に黒パンを置きました。その晩、どこからか声がして、「わたしは幼子イエス。この手を取ってついておいで。」バーブシュカは目を閉じて微笑みながら、天国に召されていったということです。

 

フランス
フランスの家では、ヨセフやマリア、イエスや羊飼い、3人の学者や動物たちをかたどった小さな人形をよく飾ります。また、クリスマスイブに、暖炉で桜の木を燃やす風習もあります。このときには、よい香りになるよう薪の上からブドウ酒を振りかけることもあります。そして、子どもたちは暖炉の前に靴を出しておき、サンタクロース(フランス語ではペール・ノエルという)が夜のうちにやって来て、靴の中にプレゼントを入れておいてくれることを願います。部屋には幼子イエスを連れたマリアがいつ立ち寄ってもいいように火やロウソクはつけたままにしておき、テーブルの上には食べ物や飲み物も出したままにしておきます。

 

イタリア
イタリアのクリスマスでは、アッシジの聖フランチェスコが特別な役割を果たしています。聖フランチェスコは、すべての生き物をいつくしみ、動物たちも自分の兄弟と考えた人でした。フランチェスコがイエスの生まれた日の情景を再現したことをきっかけに、イタリアの家庭でもイエス誕生の光景をかたどったクリスマス飾りが作られるようになったのです。

イタリアには、クリスマスの前になると子どもたちが羊飼いのサンダルと帽子を身に着け、羊飼いの笛を吹きながら家々を回る風習があります。人々はこの子どもたちにクリスマスの食べ物を買うお金をあげます。

また、クリスマスイブの日は、昼の間何も食べずに過ごす風習もあります。そして、真夜中のミサが終わってから大規模なパーティーを開きます。パネトーネと呼ばれるクリスマスケーキもこのときに出されます。

イタリアの子どもたちがプレゼントをもらうのは、1月6日です。この日は3人の東方の学者がイエスを拝むためにベツレヘムにやって来た日。その夜、良い魔女のベファナが煙突を下りてきて、悪い子の靴下には炭を、良い子の靴下にはプレゼントを入れていきます。今では、クリスマスイブにプレゼントをもらう子もいるようです。

 

ギリシャ
ギリシャの子どもたちは、クリスマスイブにキャロル(聖歌)を歌いながら町を回ります。太鼓やトライアングルを鳴らして伴奏もします。上手に歌えると、ご褒美にお金や木の実、お菓子や干したイチジクなどがもらえます。また、模型の船を金色に塗った木の実で飾り、家々を回るときに持って歩く子どもたちもいます。昔からギリシャの島々に伝わる風習ですが、今でも残っているようです。

 

メキシコ
メキシコの子どもたちは、マリアとヨセフが宿屋を探して歩いた場面をよく演じます。着飾って行列になり、家々を訪ねていきます。この行列はポサダと呼ばれますが、「宿屋」という意味のスペイン語からきています。

メキシコの多くの子どもたちがプレゼントをもらうのは、1月6日の3人の学者のお祭りのとき。しかし、クリスマスの時期には他にもたくさん楽しいことがあります。中でも珍しいのはピニャタです。

 

インド
インドのキリスト教徒たちは、ほかの国から取り入れた風習をインドの風習に結び付けてクリスマスをお祝いします。モミの木のツリーの代わりに、バナナやマンゴーの木に飾り付けをし、家にもマンゴーの葉を飾ることがあります。また、地方によっては、粘土づくりの小さなランプに油を入れて灯し、平らな屋根の淵や塀の上に並べてクリスマスの飾りとすることもあります。クリスマスイブになると、インドの教会は鮮やかなポインセチアで飾られ、ロウソクが灯される中、特別な礼拝が行われます。

 

オーストラリア
オーストラリアには、さまざまな国からいろいろな風習を持った人たちがやって来て住んでいます。南半球にあるこの国にクリスマスが巡ってくるのは、ちょうど真夏の暑い盛り。オーストラリアの人の多くは、七面鳥のローストとクリスマスプディングといったイギリス風のごちそうを食べます。田舎や海にピクニックに出かけて、冷たい七面鳥の肉にサラダというお弁当を食べる人もいるようです。クリスマスツリーやクリスマスブッシュを飾ることもよく行われています。

 

日本
キリスト教の信仰に基づいて育てられる子どもは、日本には多くいませんが、モミの木にきれいな飾り付けをしたり、クリスマスケーキを食べたりする風習は、アメリカなどから伝わってきています。もちろん、日本にもイエスの教えを信じて教会のミサや礼拝に出かけ、クリスマスの本当の喜びを分かち合う人たちもいます。しかし、イエスの誕生日という意味を知らない子どもたちにとっても、クリスマスという日は、パーティーを開いたり、プレゼントを交換したりする楽しい日となっています。

 

豆知識

ちょっと変だよ、日本のクリスマス

クリスマスケーキはいつ予約する?
家族団らんの象徴ともいえるクリスマスケーキですが、お母さんの手作りではなく、洋菓子店で何日も前から予約して買ってくるというのは日本だけの風習です。そもそも、クリスマス・デコレーションケーキというものは、日本の洋菓子メーカーが考案したもの。ヨーロッパの家庭では、小麦粉にフルーツやラードを使った焼き菓子のプティングや、お米に牛乳とホイップクリーム、砂糖を混ぜて作ったデザートのライスプティングがポピュラーなクリスマスデザートです。ちなみに、お菓子を詰め込んだクリスマスブーツも日本独特の商品で、登場したのは戦後すぐのこと。クリスマスケーキを買えるほど余裕のない家でも手が届くということから、庶民に大好評でした。

パーティーには七面鳥とフライドチキンが欠かせない!
クリスマスディナーといえば、紙で作ったふさふさの飾りが付いたチキン、それに七面鳥がなくては始まらないといった感じの日本ですが、それはアメリカで秋の感謝祭のときに食べられていた七面鳥が、なぜか日本ではクリスマスに食べるものとして広まったにすぎません。北欧の伝統的なくクリスマスディナーは、鳥ではなくローストポークがメインディッシュになります。

クリスマスは恋人と、あるいはみんなで盛り上がろう!
クリスマスは家族と共に過ごし、家族のきずなを確かめ合う日です。友人の家に遊びに行く、恋人と過ごすというのも、悪しき日本の風習といえるかもしれません。

 

クリスマス用語集

ここでは、クリスマスに関連する用語について解説していきます。

 

クリスマスツリー

クリスマス,ツリー

クリスマスツリー

クリスマスツリーを飾る習慣は、ドイツで始まったのではないかといわれています。11世紀の宗教劇で、モミの木にリンゴの実を付けてエデンの園を表し、やがてロウソクを飾って光を示したとあります。

ツリーに明かりを付けることを考案したのは、宗教改革者ルターといわれています。クリスマスイブの夜、モミの木のこずえを通して見た冬の星空の美しさに感動したルターは、これを再現しようとモミの木を伐ってきて、ロウソクを何本も立てて子ども部屋に飾ったといいます。こうして、現在の「ツリー」のスタイルがほぼ確立したようです。

クリスマスのカウントダウンが始まる12月1日に、家族総出でツリーを飾り付け、最後に一番上に大きな星のオーナメントを一家の大黒柱が取り付けるというのが、正式なクリスマスツリーの飾り方とされています。クリスマスツリーは、1月の下旬まで各家庭で飾られています。クリスマスの余韻を新年に持ち越して十分に楽しんだあと片付けるというのが基本です。本物のモミの木の場合は、オーナメントなどをはずしたあと、外で燃やすという風習もあるようです。

 

クリスマスプレゼント
最古のクリスマスプレゼントは、東方の三博士がイエスに捧げた黄金と乳香と没薬といわれています。また、古代ローマのサトゥルナリア祭の期間にも、親しい人同士でプレゼントを交換していたといわれています。プレゼントといっても、冬至のお祝いに今まで少しずつ食べつないでいた食糧を一気に使って、各家庭の自慢料理を隣近所にごちそうするというものだったようです。子どもにプレゼントを贈る習慣は、もう少し後に始まったようです。

 

アドベント
クリスマスの準備期間のことで、11月30日に一番近い日曜日を1回目として4回の日曜日を含み、12月24日のクリスマスイブまでの4週間のことをいいます。「待降節」とも呼ばれます。ヨーロッパの多くの国では、クリスマスのための品物を売るクリスマス・マーケットが開かれます。

 

アドベント・カレンダー

クリスマス,カレンダー

アドベント・カレンダー

12月1日からクリスマスイブの12月24日までのカレンダーのこと。日めくりのようになっているものや、モミの木の枝で輪を作り、そこに24の小箱をぶら下げたものもあります。子どもたちは毎日ひとつずつ、その日と同じ数字の窓や箱を開けていきます。日にちのところをはがすとお菓子が入っていて、クリスマスイブには描かれた絵が完成するというものです。

 

オーナメント
クリスマスツリーにぶら下げる飾りの総称。金色の星、天使やサンタクロースの人形、赤や金色のガラス玉、麦わらで作った羊や星、お菓子、ロウソクなどいろいろなものがあります。もともとは、本物のリンゴなどを吊るしていたようです。

クリスマスツリーにオーナメントを飾るのには、家族のきずなと平和な暮らしに感謝し、にぎやかにクリスマスをお祝いするという意味があるそうです。

 

クリスマスキャロル
クリスマスをお祝いする賛美歌のこと。「キャロル」は英語で「賛美」という意味。日本では『きよしこの夜』や『もろびとこぞりて』などがよく知られています。クリスマスイブの夜、キャロルを歌いながら家々を回ることを「キャロリング」といいます。

 

クリスマスの植物
冬でも緑の葉をつけている常緑樹や、イエスの血の色を表すともいわれる赤い実を付けるもの、冬に花を咲かせるものなどが、クリスマスを飾る植物として親しまれています。

 

クリスマス・ローズ
ヘレボルス
東欧原産のキンポウゲ科の多年草。淡いピンクや白の花を咲かせます。特にイギリスでは、冬に咲く数少ない草木のため、クリスマスを飾る花として喜ばれます。クリスマスの時期に花を咲かせるのは、ヘレボルス・ニゲルという品種のみ。教会暦のレント(四旬節)にさしかかった3月ごろから花を咲かせるため、「レンテンローズ」とも呼ばれています。

 

月桂樹
地中海地方原産のクスノキ科の常緑高木。芳香のある葉は鎮痛剤や料理のスパイスに利用されますが、古代ギリシャでは太陽神アポロンの聖木とされ、競技大会などの優勝者に月桂樹で作った冠を栄誉の印として与えていました。クリスマスリースの材料にもよく使われます。

 

ヤドリギ
ヤドリギ科の常緑樹。キリスト教が広まる以前から、ヨーロッパでは薬や魔除けになるといわれていました。

古代ケルトの伝統宗教ドルイド教では聖なる木とされています。普通はポプラやリンゴの木に根をはって育ちますが、カシの木から生えたものは特に神聖視されています。ヤドリギは友情のシンボルともされ、ヤドリギの下で友が出会うと幸運が訪れ、敵同士が出会うと戦いをやめるといわれています。異教色が強いため教会に飾られることはありませんが、イギリスでは、家の戸口などによく飾られます。

 

シクラメン
西アジア原産のサクラソウ科の多年草。秋に球根を植えて明るい室内で育てると、クリスマスから翌春にかけて赤や白、ピンクの花を咲かせます。球根の形から、和名は「ブタノマンジュウ」というそう。

 

ポインセチア
メキシコ原産のトウダイグサ科の観葉植物。冬、日当たりのいい場所で育てると、上部の葉が鮮やかな赤に変色します。植物学者でもあった初代在メキシコ米公使ジュエル・ポインセットが、任期中の1828年に発見したことから「ポインセチア」と名付けられました。原産地のメキシコでは、真っ赤な花びらのように見える葉の形を、三博士を案内した星に見立て、「聖なる夜の花」と呼んでいました。

ポインセチアにまつわる伝説によると、あるクリスマスの日、貧しい少年が何も捧げる物がなく、路傍の草を摘んでイエスに捧げました。人々が笑う中、少年がおずおずとその草を祭壇に捧げたところ、みるみるうちに草は真紅に染まっていったといいます。この草がポインセチアだったそうです。

 

ヒイラギ
地中海から西アジア原産のモチノキ科の常緑樹。5月から6月にかけて花が咲き、待降節に実を付け、クリスマスのころには真っ赤に熟します。刺のついた葉はイエスのいばらの冠を、赤い実はキリストの血を象徴するといわれています。

 

モミ
マツ科モミ属の常緑高木。ブラシ状に生えた葉が特徴で、樹皮が揉んだように見えることから「モミ」と呼ばれています。ツリーにモミの木が採用された理由は、横から見ると三角形をなす樹形が三位一体を表しているため、イエスの十字架がモミで作られていたためなど諸説あります。

 

クリブ(馬槽)
イエスの降誕の場面をミニチュアの家畜小屋や人形で再現した模型のこと。国によって「クリッペ(ドイツ)」「クレシュ(フランス)」「マンガ―シーン(イギリス)」「プレゼピオ(イタリア)」などと呼ばれますが、いずれも「飼い葉桶」という意味です。クリブは、日本のひな人形や五月人形のように毎年使いまわし、人形を買い足しながら先祖代々受け継いでいきます。発祥国イタリアをはじめ、国によってはツリーより重要視されています。ツリー同様、待降節に入ったら飾り付け、公現日に片付けます。

 

ベル
「クリスマスの喜びの訪れを告げるベル」といわれていますが、もともとは、古代ヨーロッパで冬至の魔除けのおまじないに使われていたベルの名残りのようです。現在でもドイツやオーストリアの一部では、クリスマスの祭りの中に、大きなベルを鳴らして悪霊を追い払う儀式が組み込まれています。

 

リース
リースの発祥はギリシャ時代にまでさかのぼり、結婚式や春の祭りなどの席に飾られていました。豊作祈願、繁栄、魔除け、永遠の愛などの象徴とされていたようです。クリスマス専用のリースが生まれたのは、19世紀初頭といわれています。

 

キャンドル
冬至祭で「太陽の復活」を祝ってユールログを燃やした習慣と、キリスト教の「世の光」という概念が合わさり、クリスマスは光が重要視されるものとなりました。

 

ペッパーランプ
クリスマスツリーに巻かれる、数珠つなぎになったトウガラシ型の電球のこと。かつて、クリスマスツリーには本物のロウソクをぶら下げていたため、火事にならないよう必ず火の番をしなくてはなりませんでした。19世紀に電球が発明されて以来、クリスマスの火事は格段に減少しました。

 

メリークリスマス
クリスマスのあいさつ。Merryは英語で「楽しい、喜ばしい」という意味。「Merry Christmas to you」もしくは「I wish you a merry Christmas」とあいさつがされるように、本来は「あなたに楽しいクリスマスが訪れますように」という祝福の意味を込めて使われます。

 

クリスマスグルメ
もともとクリスマス料理は、長期保存のきくものと相場が決まっていました。ヨーロッパの冬は厳しく、現代のように新鮮な肉や野菜を1年中食べられるような輸送体制も保存技術もなかったので、食材といえば塩漬け肉やドライフルーツなどの保存食しか調達できなかったのです。そのため、クリスマスのお祝いにも、香料やアルコールをきかせた保存のきく食べ物が並びました。

 

クリスマスプディング
イギリスのクリスマスに欠かせない蒸しケーキです。干しブドウや果物の砂糖漬け、香料をたっぷり入れて作ります。クリスマスの数週間前、場合によっては1年以上前に作っておいて、冷暗所で寝かせておきます。長く寝かせるほど味に深みが増すそうです。食べる前には2、3時間蒸し直し、ブランデーを振りかけて火を付け、食卓に運びます。

 

ミンスパイ
イギリスで16世紀ころから食べられていたとされる小さなパイです。飼い葉桶をかたどった形をしており、クリスマスから公現日までの12日間、毎日1個ずつ食べる習慣がありました。もともとは、羊や牛の肉にスパイスやドライフルーツを加えた味の濃いミートパイでしたが、19世紀ころから肉を入れなくなり、今ではフルーツパイとして食べられています。

 

ビュッシュ・ド・ノエル
ロールケーキの表面にチョコクリームを塗り、フォークで筋を付けるなどして丸太を模したフランス原産のケーキです。丸太は、ヨーロッパで「ユールログ(クリスマスの薪)」を燃やし続けた風習の名残りとされています。

 

シュトレン

クリスマス,ケーキ

シュトレン

ドイツのクリスマスには必ず出てくる、ドライフルーツ入りパウンドケーキです。表面がシュガーパウダーで覆われているのが特徴です。切り分けた際の断面が、雪山に掘られたトンネルのように見えることから、ドイツ語で「坑道」を意味するシュトレンと呼ばれています。

 

ミートローフ
ひき肉のかたまりをオーブンで焼き上げた大きなハンバーグです。

 

エッグノッグ
イギリスやアメリカで、クリスマスをはじめ、イベントのたびに飲まれる冷たい飲み物です。ブランデーやラム酒を、泡立てた卵と牛乳で割り、砂糖やナツメグを入れて作ります。

 

ホットパンチ
赤ワインをベースに、はちみつ、レモン、シナモンなどスパイスを加えた温かい飲み物です。レシピは国ごと、家庭ごとに異なります。ドイツにも「グリューヴァイン」というよく似た飲み物があります。

 

キャンディケーン
先の曲がった、杖の形をした紅白模様の飴のこと。18世紀ころからドイツでは、聖ニコラウスの持つ司教杖を模した白い飴をクリスマスに食べたり、ツリーに吊るしたりしていました。これを20世紀初頭、米国インディアナ州のキャンディ製造業者がアレンジして、現代のようなカラーリングになったようです。赤はキリストの血を、白は純潔を表しているといいます。

 

ジンジャークッキー
クリスマスによく焼かれるクッキーのこと。人の形をしていることが多く「ジンジャーマンクッキー」とも呼ばれています。中世、クリスマスツリーに聖餐式用のウエハースが吊るされたのが始まりといわれています。凝ったところでは、ジンジャークッキーをメレンゲでつなぎ、大きな家の模型「ジンジャーブレッドハウス」を作ることもあります。ドイツでは「レープクーヘン」と呼ばれる、シナモンやクローブをきかせたクッキーが使われます。

 

ポリッジ(ライスプティング)
「甘いミルクがゆ」のことで、西欧や北欧では一般的なおやつとして食べられています。湯を沸騰させた鍋に米を入れ、さらに牛乳を加えてゆっくり煮込み、柔らかくなったところで砂糖などを入れます。北欧では、クリスマスの夜、ポリッジを盛り付けたお皿を屋外に置き、サンタクロースにふるまう習慣があります。

 

まとめ

クリスマスについて、その起源や日本におけるクリスマスの歴史などを解説してきました。

クリスマスの起源や歴史の経過をみてみると、決して宗教色が強いというわけではないことがわかりますね。

そして、いつの時代にもどこの国でも、夜の闇や冬の寒さというものは、人々に恐怖を与えるもののひとつであったことがうかがえます。太陽の温かさを待ち望む人々の喜びが祭りという形に現れているのだと思われます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!